「侶道さん、こっちは終りましたっ」
「有難うフィン、こちらも終りみたいだ」
 緊張していた身体を息を吐くと同時に少しだけ緩ませて、黒髪の青年は辺りを見回した。
 その森が静けさを取り戻した時には、辺り一面、焦げた匂いでむせ返っていた。周囲……というよりは足下……には焦がした身体を地に寝転がしたままの人間達が居る、その中に二人は佇み、さも何もなかったような様子を浮かべている。
 地に平伏す男達だけが焦げているという異様な場。密集する木々達には、殆どと言っていい程燃えた跡や焦げた跡はない。
「…殺してはいないだろうね?」
「熱さと火傷が酷くならなかったら半死状態ですっ。」
「………」
 彼の表情から苦笑が再度こぼれる。侶道……と呼ばれた青年が息をつき、辺りを見回した。
 見回したといっても、彼の瞳は開く事は無い。双眼とも痛々しい傷を残して、目の機能を死亡させていたので、開く事が出来なかった。それ以前に彼の目は、元から普通の機能を持ち合わせていなかった為、其れほどの苦労は無いらしいのだが。
 常盤色の上等な生地で誂えられたローブで全身を包み、長めの髪を後ろで緩くまとめている。薄い灰色の錫杖を持ち、その腕には漆黒の石でつくられた腕輪が填められていた。
 ふと、何かを発見したのか彼は背後を振り返り、一点を見る。
「フィン、あそこに誰かが居るかい?」
「え……あっちですか?」
 空色の瞳を凝らせてフィンは叢を見つめた。多少焦げた痕のある草花や木々、足下に転がる男達の向こう側、その茂みの奥は馬車、積まれていたらしき大きめの荷物箱、毛布等…旅に必要最低限のものが放置されていた。しかし人影は見えない。
 す、とフィンは視界を『変えた』。
 侶道と同じ視界──聖霊を見る力、聖霊視を施行したのだ。
 聖霊視は殆ど光で現わされる、木々や草むらの緑色の光、奥に潜む生き物達の生命…白い様な、透明なの様で不透明な……それでいて力強い……光、他にも小さくて些細な光がこの周辺を回避しつつも飛び回っている。その中にひとつ、とても弱々しい生命の光をフィンは見つける。
 ささやかな光を捕えたまま、フィンは駆け足で先程の戦闘の残骸を横断する。侶道もまた後ろを静かに続く。何となくこの先にあるものは想像出来たが、出来るだけ悪い状態では無い様にと、祈る様な気持ちで伸びきった草を掻き分けた。
「…侶道さん…」
 一足先に正体を確かめていたフィンが問いかける様に青年を呼び、振り返る。空色の髪の少年の様子を見、それから、緩慢な動きで視線をずらした。
 視界に入って来たのは、草に紛れて捨てられたかの様に横たわる少年が一人。祈った思いと反面、予想していた通りに酷い有様であった、身体中殴られた様な、蹴られた様な痕が痛々しく残り、何処かは骨が折れているのではないかと思う程だ。
 血と土で服は汚れて、頬は腫れて口元からは血がにじんでいた。浅縹色の髪の隙間から血の流れた痕が顔に残っていて、まだ乾ききってはいない。両手首と首には縄が巻かれ、どちらも擦れた痕があった。
「酷いな……」
 恐らく今は向こうで火傷を負ったまま転がっている者達から受けた傷だろう、もう少しここを察知するのが早ければと、侶道は後悔の念を残しつつも膝を折り口元に手を近付ける。微かながらに呼吸を感じる、しかし聖霊視でも力が弱くなっている事は一目瞭然で、何処かにこの少年の状態を重傷に至らせている傷があるのだろう、このままでは死に至ってしまう。
「フィン、ヘイル医師を連れて来て欲しいのだが行ってくれるかい?
 これは私では対処出来るようなものではないので、と。
 それとこの辺の状況を母上か父上に伝えて来て欲しい」
「判りました、布を持って来た方がいいですよね?」
「ああ、頼む」
 にっこりとフィンが微笑む。それから数歩下がり人気のない場所に立ってから、目を閉じる、右手を掲げ深呼吸をひとつ。
「サラサの理にて礎より編み出し詞より力を示す。
 左に風の調べをのせ 右にフェルネスの羽を携えよ。」
 鋭い音を立てて風が少年の周囲に輪を描くように現れる。葉ずれの音が高く聞こえて、徐々に風が勢いを増して行く。
「風の糸を手繰りしは天を舞いし透なり翼。
 " フェル・ウェネード "」
 ちかちかと右手に填めた指輪の宝石部分が言葉に反応し、最後の言葉を告げる瞬間彼の目の前に魔術の印が光として現われる。その光が散らばり、周囲に溜まって居た風を呼び寄せる。
 風が豪風となりフィンの身体に纏わりつく、光も混じりあい、それは彼の身体を数秒の内に宙へと浮かせて行った。
「行ってきます、回りに注意してくださいね!」
「あまり飛ばさないようにな」
 足下がない覚束なさも気にもせず、少年は上へ飛び上がるような体勢をとり、空を蹴った。力強い風を操りながら一気に森の下から上へと上り切る。
 風に遮られて騒ぐだけの木々をかいくぐって森から抜け出し、フィンは勢い良く森の上を進んで行った。
「…やれやれ、困った子だ…」
 溜息混じりに呟いて、フィンを地上で見送った侶道は彼の姿が見えなくなってから、足元で横たわる少年に視線を移した。腰につけていたバッグを開けて、中から包帯、消毒液、速効性のある薬草等を取り出す。
 …少しだけでも痛みを和らげなければ
 自分の記憶にある知識は応急処置程度、もしくは医師の助手程度のもの。骨折が身体の何処かにあるとすれば、それは一人では処置出来るものではないが、せめて見える所、手当てが出来る所があるのならばと思ったのだ。
 護身用に持ち歩かされている飾り気の無い短剣を取りだして腕と首に巻かれていた縄を切る。その少年の身体の様子を視ようと肩に手をやり、ぴたりと彼の動きが止った。
「………」
 暫くの沈黙が続く。
 触れてはっきりと見えてしまった、少年のその命の光…医師が来る迄には間に合わない程弱り果て、今にも光が途絶えてしまいそうだった。
 生ける者のその光が絶える事は、『死』を意味する。
 待っていられない。
 少年の肩から手を離し、侶道は自分の胸の前に手を組んだ。呼吸を整えて、一言ずつ、慎重に紡ぎ出す。
「全てを包めし光の聖霊 ウィレル・オ・ウィネス
 全てを癒せし水の聖霊 ウィンディエーネ
 我の声に耳を傾けよ──」


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