ぱしゅん…
 黄のエレメントが光りセルジュの身体の中へと溶け込んでいく、光が消えていくと同時に深呼吸をし、セルジュは幾許か身体の緊張をほぐした。
「これだけじゃ足りねぇだろうけどよ…」
「ううん、結構楽になったよ。有難うキッド、見つけてくれて」
 にこりとしたその笑顔にキッドは頬を赤くし、そっぽを向いてどうってことねぇよ、と答えた。彼に礼を言われる時はその事の理由が理解出来ない時が多いので、明らかな理由が出て来ると感じ方が全く違う。降ろした自分の長い髪を撫でつつ、胡座をかいてセルジュの隣に座り直した。
「朝にならないと動き様が無いね、この暗闇だと。
 カーシュ達、僕等に異変が起きた事判ってくれてるのだろうか。」
「なあ……セルジュ」
「ん?」
「こんな時に何だけどよ……お前どうしてカーシュ達を仲間に入れたんだ?」
 突飛な彼女の質問に目を丸くしたセルジュは、右手を口元に近付けて目を遠くへやった。頭や口元に手を添えて考え事をするのは彼の何時もの癖だ。
「……あの時は判ってくれていた唯一の人達だったから、かな」
「お前が、セルジュだという事か?」
 そう、とセルジュは頷く。前に夢で知ってしまった彼が『ヤマネコ』だった時の出来事。以前…キッドが知る限りの時ではカーシュや、マルチェラ、蛇骨大佐達アカシア龍騎士団は敵だった筈なのに、今ではカーシュは執拗にセルジュの事を心配し、マルチェラは頬を赤らめて話しかけてくるし、大佐とは父親的存在とまでなっている。仲間にはなっていなかったファルガも大佐と同じく、また正反対な父親的存在となり、その他にも彼の周囲にはキッドの知らない者達が集っていた。
「『僕』に戻る前も戻った後もちょっと大変だったけど…、皆が、居たから……」
 ツクヨミが、居たから。
 その言葉を出しかけて、セルジュは声を押し留めた。キッドはその名に異常な反応を見せる為に今は刺激しない方が良いだろうと思ったからだ。第一、キッドがそれで暴走しそうになってしまったら現在の状態では抑える事など到底無理だ。
「後……?」
 思わず呟いてしまったキッドは、振り向いたセルジュに気付いて手をぱたぱたと振った。
「いや、その、何でもねぇよ。ただ気になっただけだから別に言いたくなきゃ……」
「聞きたい?」
「……………傷に障るだろ………」
 大丈夫、と答えたセルジュにキッドはため息をついた。
 離れていた時の時間を埋めていくかの様にセルジュは彼女が居なかった頃の話をする事がある。ヤマネコの時の話はあの夢の後から、『セルジュ』としての身体を『取り戻した』後の事までほんの少しでも聞きたいと思ってしまうと表情に出て来てしまうのか、彼は問い返してくる。
『聞きたい?』と。
 それは彼女に対する事なのか、それとも自分自身に対する事なのか……彼にしかそれは判らない。
「どれも恥ずかしい話ばかりだけど、『後』の話はあれが一番辛くて…嬉しかった、かな。
 戻ってすぐの頃だった……正直、自分の姿が戻った事にちょっと浮かれ気分だった。
 グレンやアルフともまた一緒に行けるって思うと嬉しくて、カーシュ達も用事があるからって、僕は一緒にテルミナに行ったんだ」
 組んだ足を手で掴んでいたキッドは人知れずその手の力を強くした。グレンやアルフ達が居るテルミナはアナザーのテルミナの筈、朧気に感じる様に覚えている……横に居た、『セルジュ』が何をしていたかを。
 気付いた?と言わんばかりにキッドを見たセルジュが微笑んだ。
「予想はついただろうけどね、あの頃はヤマネコ……いや、フェイトが僕の姿で暴れ回っていた頃だったから。
 当然僕は『フェイト』のセルジュと勘違いされて、袋叩き状態になったんだ」
 街へ入った途端突き刺さった視線、凍りつく空気とどよめく声……気付いて己の後ろへ引き寄せようと延ばされた仲間の腕をすり抜ける様に倒れた自分の身体……引き連られ地に叩き付けられた場所に集まってくる民達。
 男達の罵声に女達の怒声と子供の涙声、民衆の非難、それと共に襲ってくる身体の痛み、喉の奥から込み上げる錆び臭い血が口から溢れ出た。視界はぼやけて自分が囲まれている事しか判らない、表情までは見えない……見えなかった方が良かったのだろう。悲痛な叫び声に混ざりながら聞こえる嘲笑が恐ろしくて、声も出ず只叩き付けられるだけだった。
「今にも殺されそうな勢いで、でも何も出来なくて殴られてるだけで。
 目の前が真っ白になりかけた時に何かが起きて辺りがしんと静まった。
 何だろう、と力を振り絞って目を開けてみたら……其処に大佐が居たんだ。
 僕が刺される筈だった刃を、その身に受けて。」
 自嘲的な笑みが口元に浮かび、セルジュは軽く息を吐いた。
「…言ってくれたんだ、大佐が」
 目の前で震えている男の前で…自分の護るべき民達の前で、視線を真っ向から受け止めている中でこう呟き、しかしはっきりと答えた。

『皆のその気持ちはよく判る、私もその者に黒い心を持つ者の一人だ。
 しかしだ、だからと言って外見が似ているだけのこの少年に向けるものではない。
 信じて欲しい、この少年は、皆の憎む者では無いのだ。
 ……この少年を、傷つけないで欲しい───』

「……」
 静寂の中…キッドは唸る様に声を殺した。
やはり大佐の記憶もあの古龍の砦での記憶しかはっきりと残ってはいない。あの場面では考えられ様も無かった、『上に立つ者』としての中に潜む『他人を思いやる気持ち』。敵同士という立場でしかなかったのに自分に向かい語り続けているこの者はあっさりと敵を受け入れている。そして、敵だった者に護られている。
「他の皆もいろいろ言ってくれた、最終的に結論づけたのは絵描きのおじさんなんだけど……
 皆が言ってくれなかったら……立ち上がれなかっただろうな」
 セルジュ自身正直ここまで自分を庇ってくれるなどとは思っていなかった。あの時の皆の焦り様を思い出すと、自分が護られているという事が改めて実感出来る。
「…お前ってさ、普通他人に言えないような事、よく言えるよな」
 そうかな?と肩をすくめて可笑しそうに笑った。
「キッドはそこらへん勘が鋭いから隠しても無駄だと思うし、僕は隠したって意味が無いと思うから。
 本当の自分を隠して表だけの自分を見せるのが嫌なだけだよ。」
「…勘が鋭いと褒めてくれたお礼にひとつだけ言って良いか?」
「何?」
「お前、大佐に庇われた時に「何で」って言っただろ、きっと」
「…御名答」
 眉を潜め、苦笑いを浮かべてセルジュはその言葉に素直に頷いた。キッドの考え通りにセルジュはあの時に「何故」と問いかけた。皆にではなく、自分を庇った大佐に。

『何で、何でだよ大佐……何故僕を庇うの?』

 肩に刺されたままのナイフが痛々しかった…黒い軍服がもっと黒くにじんでいく、その様も。
仲間になり、共に戦う様になってから彼等の態度が徐々に柔らかくなって行くのは当然の事、だがセルジュは同時に自分が護られている様に思えて来たのだ。前へ行こうとしては止められて一息つく事を望まれ、自分一人だけ前には行かせない様に隣に並び、時には後ろに押されて下げられた事もあった。それが不思議でならなかった、何時も通りに動いているだけなのに苦笑し『休め』と口々に言う仲間達。

『大切な仲間を、護るのは悪い事なのかね?』

「仲間だって思われていたのが意外だったんだ……心の何処かで『成り行きで仕方無く』一緒に同行してくれていたっていう思いがあったんだろうね。
 驚いたんだその時本当に。その所為か身体から力が抜けて、床にまた倒れそうになって今度はカーシュとマルチェラが支えてくれた」

『そうだよ、私はセル兄ちゃんだから仲間になったんだよ。
 皆の言う『セルジュ』じゃない、セル兄ちゃんだからだよ。』

『ああ、その通りだ。お前は『セルジュ』なんかじゃねえんだよ、只の小僧なんだ。
 莫迦みたくあの小娘の事ばっか話す小僧が、お前なんだよ』

「……最後にね、二人に一言ずつ言われて……護られてるんだな、ってはっきりと自覚した。
 僕は誰が何を言おうとこの身体はフェイトと同じもの、奪われたのも僕の身体だし、だから街の人達の行為は仕方無いと思ってたんだ。
 だけど二人は言ってくれたんだ。」
「……なんて?」
 かする声にセルジュは微笑み、大切なものを取り出すかの様に呟く。

『私はセル兄ちゃんが好きだからね。セル兄ちゃんが好きなんだからね。
 皆だってそうなんだよ、皆セル兄ちゃんの事大好きなんだからね。
 ……だからこんな傷だらけになったら、嫌だよ……』

『聞いたか?マルチェラからこんな熱い告白受けてんだぜ?
 ……お前だけが全部背負い込むもんじゃねぇんだよ。
 変な所で自分の本質忘れて背負い込むな。俺が…俺達が居るだろう?』

 ……自分を認めてくれる人達、その言葉。この旅を始めた時から持って居た自分の「存在に対する疑問」の痛みを和らげてくれた言葉なのだろう……
「強い想いに護られている、そう判ったからこそ……僕も何かを護れる様になりたいと思った。
 今迄自分で立つ事だけで精一杯だったけど、今度は護りたいと思ったんだ……
 そう考えると、この旅は決して振り回されただけの旅じゃなかったと思える。
 皆と出会えて良かったと……この旅が出来て良かったと、思う。
 …キッドと会えて良かったと思う」
「…こんな所で言うんじゃねぇよ恥ずかしい。
 第一まだ旅は終ってないんだぜ?今言う言葉じゃねぇんだよ」
 最後の言葉に顔を真っ赤にさせてキッドは視線を避けつつ言い放った。今のセルジュは妙にさっぱりと言い切り、恥ずかしい事も臆面も無く話して来る、この状況が彼のその様にしているのか、身体の痛みからの意識の麻痺か。
「でも、これでキッドに会わなかったら、誰かを護りたいという気持ちはこんなに強く無かった。」
「……」
 口端を、す…と上げて。
「判ってるよね、キッド」
「……俺に言わせる気かよ」
「その気は無いよ、僕が言いたい。
 ……君を護りたい」
 横に居る、愛おしい者をこの手で護ってやりたかった。
あの砦の時から、自分が『自分』でなくなった時から想い続けていたひとつの心。
幼い頃、海で溺れていた時に引き揚げてくれた昔の記憶の人に似ていただけの人だった。だが、今は……
「…俺だってお前を護ってやりたい」
視線は避けたまま、彼女らしいはっきりとした口調で言った。
「お前がどう思っていたか判らなかったから言えなかったが、俺だって護ってやりたい。
 今もそれは同じだよ、こうやってお前を傷だらけのままにさせて悔しいんだ。俺だけ護られても困る、……俺だって」
 口をつぐみ彼女は顔から上がってくる熱に耐えながら真直ぐにセルジュを見る。夏空色の瞳を見開いて驚いた様子の彼は数秒黙り込んだが、やがて微笑んだ。
「じゃあ、支えあおう」
「……支えあう?」
「一方的なのは嫌なの、判らなかった、ごめん。
 でも僕もキッドを護りたい。それは誰にも譲れない想いだ。
 だけどキッドも譲れないよね、なら……支え合おうよ。
 心的にも、体的にも、護り支え合えるようになろう。……強くなろう」
 この強き想いを護ろう。決して誰かに挫かれる事の無いよう、強くなろう。
それは決して鋭い強さではなく、暖かい強さであろう。……そんな言葉も含まれている事に微かに気付いたキッドは微笑み、囁いた。
「…お前となら」

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