会いに行くよと言ったんだ。あいつに。
いつか、きっと……会いに行くと。
空が白みかけてきている、涼しい風がそろそろと温かくなり始めているのを感じると、もうすぐいつもの陽が顔を出す頃だなと思える。
昨夜一睡もする事無く夜が明けてしまった。二人になってしまった後からは沈黙が殆どの時間を支配していたが、この頃になって漸くぽつりとキッドが口を開き始めた。目が真っ赤になっているのを恥ずかしがる事も無く、手すりに横たわり海を眺めながら。
気付いたら誰に言ったのかが覚えていなかった。
でも確かに言った……その感触は覚えていた。何時だったかな……多分、俺の家が燃えた後からかな。…あ、覚えてるか?確かお前も行った筈だったんだけど……あ、そう。まぁ其れほどお前にとっちゃ重要な事でも無かったしな。
それはいいとしてだよ、幼かった頃は漠然としたものだったんだ、それが。最近になってなんかぼやけていたものが段々とはっきりし始めてさ、そういえば、ってお前らの事を思い出した。……いや思い出したっていうよりも、覚えてたかな。会ったことも無いのに……ってしたら突然だ。全部…セルジュの事を抜かしてだけど…思い出した。そうだった、俺は、そういう事があったんだって。…は?それが何なんだって?んなもん自分で思い出せよ。俺が言った所で頭痛で失神しちまうだろうさ。一応それも封印のひとつなんだからさ。
───ひとつだけ見つからないものがあってさ。何だろう、って一人自問してた。
俺が『無に帰りたい』と考えるのをやめた位、俺に『逢いたい』と思わせたその奴が見つからなかったんだ。俺に生きる希望を与えてくれた……生きる証をくれた奴。判らなくて、思い出せなくて、…お前の事が頭に浮かんだ。
確か俺が居ない時にお前があいつと一番居たって聞いた筈だって。
だから来た。思い出した。全部、何もかも。
「…ひとつだけ聞いてもいいか」
独白のようなキッドの言葉が途切れて暫くの静寂が訪れた後、カーシュは空を見上げつつ問う。
「俺達はどうして『ここ』に居る?
お前はどうして『ここ』に居る?
俺は何故…全てを忘れているんだ?」
「……全ては封印の中だよ。
それを言ってしまうのは全てを告白するのと同じだから、今は無理だ。
でも最後の質問には……遠回り的になるが答えられる。
『何か』を受け入れるにはその方が簡単だった……俺はそう考えてはいる。
だけど、他の誰かが思っている事は判らないから、それは俺の偏見だ」
「訳判らねぇ」
眉を潜めてしかめっ面を浮かべて唸った。 受け入れる?誰か? 何も知らない素人が専門家に1からではなく100からその物事を習っている様な気分だ。
「俺が言える事は何もねえって事だよ。
俺は只水面に揺られて待つだけなんだ……何も口を出す事を許されていない」
彼にしてみれば、ひっそりと息を潜めて冬が通り過ぎるのを待つ動物──彼女に悪い例え方だと思ったがこれが自然と浮かんできた。……それと同時に、何かに怯えている様な所も受けた所為か。
カーシュは更に顔をしかめた。あるひとつの思いを、思い出したが故に。
「……すまん、もうひとつだけ聞く。
俺は思い出してもいいのか?」
テラスにうなだれていた頭をキッドが上げた。
「俺は思い出してもいいのか?」
忘れたくないと切に願っていた記憶──だが、思い出すにつれ……あの記憶を思い出した時にふとよぎった。 自分はこの記憶を思い出してどうする? それは……封印されたものならば、思い出すべきものではないのではないだろうか?
例え自分が前に経験していた事だとしても、どうしてもあの少年の思考の中を探っている様な気分が取れない。
キッドがカーシュの襟を荒々しく掴んで引き寄せた。顔が間近に迫り、もう少しで額同士がぶつかりそうな位寄る。
「何言ってんだ?お前が思い出さなくてどうする?
今まで散々この事探していたんだろ?」
「迷っちまったんだよ」
「迷うな!」
ぴしゃりとカーシュの言葉をはね除ける。
「思い出せよ、全部思い出せよ。
お前らの記憶は『消す』為に封じたんじゃない。
俺は決してそう思ってやったんじゃない!
お前が迷う様なものじゃないんだ、迷ってしまう様な記憶じゃない!
あいつと居た記憶はそんな迷ってしまう程苦い記憶じゃない!
……俺はそんな苦い記憶を持った覚えはない」
かくりと再びキッドの頭がうなだれる。
「…思い出せよ。
大事だと思うなら思い出せよ」
「……説得力ねぇなあ」
それを重々受け止めたつもりでの軽い受け流しのつもりだった、だが、前の言葉をふと思い出し、失敗したと口の中が苦くなる。
「まぁ……な。俺が全部やっちまった事だしな。
『俺』は、本当は忘れてほしくなんかなかったけどさ……
だけどあのままじゃあいつの意志じゃない。あいつの意志じゃないと、あいつの意味はないんだ。
……離れたくなかった。何もしてやってねぇんだぜ?
俺はあいつに何もしてやってねぇんだよ……
まだ、あいつと一緒に………」
「………」
「…思い出せよ。
お前の意志があるなら。
……お前にはその権利がある。
お前にも、グレンにも」
「グレン?」
聞き慣れた名が出て来たのにカーシュは声を上げた。俯いていた顔を上げて、ひとつ頷きを見せるキッド。
「そうだ。お前とグレン……始まりと、終わり。
交差していた道は一つに重なった、そこから予想がつかない未来へと進もうとしている。
その道を繋げるのが鍵。…始まりと終わり」
「始まりと終わり……交差……未来?」
抽象的なものでしか語らないのは恐らく自分の事を考慮しての事なのだろうが、カーシュにはやはり不明な意味ばかりだった。そういえばになるが、自分があの『セルジュ』と共に何をしていたのかも、何故共に居たのかも、思い出してはいない。自分達に様々な事が起っていたのだけは、取り合えず判ってはいるのだが。
「俺が言えるのは、ここまでだよ。
あとは自力で探せ。お前なら出来る筈だ。
…ひとつだけ頼みがある」
珍しい彼女の頼みにカーシュはキッドに促す視線を送る。
ほんの少し躊躇して、キッドは言いずらそうに言った。
「全て思い出したら……セルジュの様子を見に行って欲しい」
「……………? お前が行けばいいじゃねぇか」
「……………………行きにくい」
本当にそれだけが理由か?
問いたいが、堪えてそれを押し止めた。突っ込めばその分、昨日の様になるだけだろう。軽い了承をしてカーシュは立ち上がった。立て、とキッドの腕を引っ張る。
「何だ、豚箱行きか?」
「莫迦者、んな事したらあの小僧に何言われるか。
───今部屋空いてねぇんだよな……仕方ねぇ、俺んとこに行くぞ」
「てめぇの所!? 何で、俺が!」
ぴっ、と人さし指をキッドの鼻先で寸止めする。
「その顔で外に出るつもりか?
目の下真っ赤に腫れ上がってんのによ?
顔ぐっっしゃぐしゃで髪もぼさぼさ……なのはいつもの事か。
……泣き明かした事ばれたら、あいつらになんて言われんだろうな?」
「う…っ」
勝った、と言わんばかりににやり笑い、カーシュはキッドの腕を引っ張ったまま館内へと歩き始めた。少々足元がふらついていたのは、夜が明け始めてから来始めた睡魔に気取られた所為かもしれない。
龍騎士団兵の後日談に、カーシュが少女を自分の部屋に連れていた、という話があった。少女はベッドで、カーシュは床に雑魚寝するという彼等にとっては異様な風景の中、二人は本当に深い眠りに就いていたとの事。