血に塗られたかの様な、空が一面に広がっている。
 崖となっているその先は空と同じく茜色に無理矢理染められた海が揺う。その光景を背に、風鳴きの岬は相も変わらず音を立てて風が溢れていた。くぉーっ、くぉーっと、まるで風が鳴いているかの様に、静かに。
 その風に弄ばれて、カーシュの髪は乱雑に流れていた。ばさばさになって暴れるその髪を押さえようと、横髪に手を添えて風に抵抗する。
 ざり、と音と立ててカーシュとグレンはその地を踏みしめた。血の様な、炎の様な、真紅に彩られた空と、海と、……その岬。崖の少し手前、其処に何か……瘤の様なものが土から生えている様に見えた。一歩、カーシュは歩出す。

[お前か……10年前に死んだ、セルジュとかいう小僧の亡霊ってのは?──]

 何か、頭の中で響いた様に思える。振り向いてもグレンは不思議そうに彼を見返すだけで、何かを言った素振りは見せない。風の所為だろうか、そう思いまた一歩カーシュは地を踏みしめた。

[動くなッ!]

 また、現われた響く音。聞き覚えがあったその音に、はっとカーシュは気付く。
 ……これは、俺の声か?
 まだ判らない、本当にそうなのか、そうじゃないのか。もしかしたら自分の聞き間違いかもしれない。風の鳴く音がたまたまそう聞こえただけなのかもしれない。でも……もしかしたら。
 考えを確信させる為、更に一歩踏み出した。

 瞬間、かっと目の前が赤くなった。
 其処は今の岬と同じ血の様な夕焼けの空、そしてその空の下……あの少年と対峙するカーシュが居た。その目の前に、キッドが不敵な笑みを浮かべて彼に立ちはだかっている。
 ……これは……
 斧を翻して、少年と刃を交える光景が目の前に、目の前の視界にあった。その時の自分の様子、斧の扱いから言って……本気で腕や足の一本は切り落としても構うものかと言いたげな勢いだった。だがそんな彼の勢いをキッドが妨げる。すばしっこく彼の攻撃を交わしながら、隙を作らせ、少年に攻撃する間を与える。初めて出会ったとは思えない程の連携を繰り返しながら、二人は少しずつカーシュを追い詰めていく。
 ひとつの繰り返された動作。風の目を沿って流れる様に振られた少年の刃がカーシュの身体を斬った。彼の身体から溢れ出て、飛び跳ねる血飛沫をまともに受けて、少年の表情が歪むのがはっきりと見えた。

[ふざけんなよ、知ってるか?
 あの後俺にこう言ったんだぜ。『大丈夫だったかな、あの人』って。
 優しいにも程があるんだよ、セルジュは]

 キッドが後に言った言葉だ、前には思い出していない。今思い出した様だが……いつもと思い出し方が違う。いつもはパズルのピースが舞い降りて形にはまったり、薄いガラスや石を割って現われてくる様な、少々強引な思い出し方だったのだ。それが今はすんなりと現われてくる。
 そう……『普通』の記憶の様に。
 記憶のカーシュがそこから退いて、幻影は消えてカーシュの視界を元の世界にへと戻した。
 ……そうだ、俺は、ここであの小僧と初めて逢ったんだ。
 暫く前から滞在していた猫科の亜人、ヤマネコからその命を受けて、彼はその地へと向かったのだ。『セルジュ』を、捕えて来いと。
 彼に言われた通りにそこで佇んでいた少年を呼んで見ると、いたたまれない様な、傷つけられた様な顔で首を振り、カーシュを見たあのセルジュの事を、今でもはっきりと思い出せる。

[違う! 僕は──]

「…カーシュ兄、あれ……」
 隣でずっと佇んでいただけのグレンが、怖る怖る腕を上げて岬の先を差し示した。改めて見てみると、其処には先程迄には居なかった筈の子供が一人、ぽつりと出っ張りの前に佇んでいる。
「…さっき、居たか?あいつ」
「居なかった……今、すっと現われて……」
 そこから声が出なかったのか、グレンは言葉を続けられなかった。風が岬を通り過ぎて、音を立てて去っていく。その風に逆らう様に…カーシュは歩き出した。それに習って、グレンも同じく歩き始める。
 一歩、一歩、慎重に、その子供に歩寄っていく。子供の方はというと、こちらに気付いていないのか、振り返る様子も無い。そのまま、数歩先まで距離を縮めて、カーシュは立ち止まった。瘤の様な出っ張りは土に埋った石の様だった。元からそこにあるのか、潮風に晒されて大分表面が削られている様だ。文字が書かれている様だが、子供が目の前に居て見えない、それに今はそれを気にしている暇は無い。
「…、お前か?」
 先ほどの記憶と同じ事をしている自分、己で客観的に見ても、あまり気持の良いものではない。またあの『過ち』を繰り返しているのかと思うと──
 …過ち?
「此処で、幽霊だと間違われている……小僧は」
 ぴくりと、わずかに子供の身体が反応する。俯き加減だった顔をほんの少しだけ上げてから、するりと深海色の髪を揺らして、その子供は振り返った。其処にあるは、少年と全く同じ夏空色の瞳。




 その子供は
 ふわりと
 微笑った……



 一段と強い風が岬から海へと通り抜けた。
 その風と逆の方向に、子供の身体が揺れる。
 倒れる様に、風に引き寄せられる様に、それに思わずカーシュは手を出した。
 彼の両腕の合間に入り込む様に子供が倒れていく。
 そのまま、子供の姿はカーシュの身体へと溶け込んで行った。


























「僕等、此処で初めて逢ったんだね」
「そうだな。この小娘も一緒にな」
「うるせぇな。カーシュ、てめぇはお邪魔虫なんだよ」
「あの時はお前がお邪魔虫だったなあ」
「二人共、落ち着いて」
「けっ。……でもセルジュ、何で今更此処になんて来たんだ?
 お前には……ちょっと辛い所だろ?此処」
「ん…まあね。でも、ちょっとだけ嬉しい所でもある」
「……俺達と、出会えたからか」
「…うん」
「ま、ここでカーシュがセルジュに絡んでなかったら、俺はお前を見つける事が出来たか判らなかったしな」
「うん、それもあるし」
「何かまだあんのか?」
「う……ん………」
「…俺と、逢えたからだろ」
「…………」
「気にすんなよ、イシトから全部聞いてる。
 お前の世界……HOMEでは俺はとっくに死んじまってるのは。
 無様な姿であの空間に捕まっていた事はな」
「……死海の話か?」
「ああ、小僧の方のな」
「……」
「ほら…、落ち込むな」
「…うん、御免。落ち込むために此処に来た訳じゃないんだけど、どうしても…ね。
 このANOTHERでは僕は死んでいた。ここにある石碑の通りに、海に還っていた。
 それは本当に、びっくりして、混乱した。僕はここでは『居ない』んだって。
 こんな所直に居なくなりたかった。僕が要らない所に、僕が要る必要はない」
「俺が、…小僧の要る所を示してしまったんだな」
「辛かったけど、嬉しかった。
 『僕』を、『僕』として……嫌な目的だったけど、見てくれたから。
 僕と共に居てくれる人を、見つけられる事が出来たから。
 それはHOMEでは絶対に無かった事。二人は……ここには居なかったから」
「…セルジュ…」
「ここは 僕にとって始まりの場所なんだ。
 カーシュと、キッドに逢えた、始まりの場所。
 今はもう笑って思い出せるよ……逢えたのは、二人だから。
 だから、もう一度だけ……ここに来たかったんだ。
 ……いろいろ、あったね。それも、もう終わりだ」
「ああ、やっとあの龍神達に蹴り入れてやれるな」
「…カーシュらしいね。
 ──其処で何が変わろうとも、その先に何があろうとも、僕は僕だから……皆がそれを教えてくれたから。僕は、立ってられる。皆と共に居られるから、僕は此処に居る。
 ……行こう、全てを断ち切って、僕等だけで歩き始めよう」


























 例え、ANOTHERとHOMEを繋ぐ空間が途切れても──



 さあ…っ
 吹き抜けた風に藤色の髪が流れて行った。目の前が妙に清々しい、赤い空は更に真紅に染めていく、その様を見て美しいと思いつつ……やりきれない思いが心に広がった。
「カーシュ兄……?」
 佇むだけのグレンに、何も答える事が出来ない。彼が望む言葉を、かけてやれなかったからだ。忘れたくなかった存在を思い出したというのに、セルジュと、セルジュと共に走り回ったあの『時』の事を、……己に起った『全ての事』を思い出したというのに。
 全てはセルジュが死ぬか、死なぬかの狭間から始まった。
 そこで世界はふたつに別れ、違う道を進み、いずれは重なって混乱を招いた……それがセルジュを取り巻いた、時の旅の出来事。その歪みを正す事は即ち、HOMEと呼ばれるセルジュが生きている世界と、自分達が生きているANOTHERの道を閉ざす事に他ならなかった。それでもセルジュは前に進んだのだ。そして、歪みを正した。
 だから、彼はここに居ないのだ。
 ここはANOTHER、彼は此処ではイレギュラーの存在、当てはまる事の出来ない余りもの。
 だから、自分が当てはまる場所……HOMEへと還って行ったのだ。
 もう逢う事も無い、顔を逢わせる事も無い。
 永遠に、思い出人となってしまったのだ。
 言い切れぬ焦燥感に駆られ、カーシュは手を握り締めてうつむいた。最後の戦闘で……カーシュは行動を共にしなかったが……サラを解放すると聞いた時から、どことなくこうなるとは判っていた。星の塔やクロノポリス、死海で対面した時の凍てついた炎──それと真正面から対峙する事になるのだ、これ位の事は簡単に起るだろう。覚悟していたつもりではあったが、まさかキッド……サラに記憶を封印される等とは、思いもしなかった。例え逢えなくなっても忘れないと思っていた、その思いが強く残っていたのだろう、だから必死に探し求めていたのに。
 …キッドが逢いに行けないのも、無理も無い。彼は、もう──……
 …… ……………?
 …待て。
 カーシュはふと、自分の矛盾に気付く。
 俺はANOTHERの住人だ、だから……あの時、死海に等遠征しなかっただろう?でもこの──忘れたくないの──思いの始まりは、死海へと遠征した後からだ。ヤマネコの誘導の元……
 いいや、違う。この世界にはもう、ヤマネコは居なかった。なのに、記憶にはその姿がはっきりと映し出されている。其処で炎と対面し、記憶が薄れ……
 ……記憶が、混ざっている?
 気付かぬ内に視界の隅に捕えていたものを見、カーシュは驚愕の表情を浮かべた。
 それは『墓標』の筈だった石。其処に書かれた刻み文字は、幼い息子の為に書かれた文字ではなく。


 永遠の思い出のために
  12歳の夏

  セルジュ
  レナ



 ...That light which wrapped in the little hand trembles for...

 透明な声が流れた、それを聞き、カーシュとグレンは一斉に顔を上げる。
「カーシュ兄、今の、もしかして…!」
 グレンが信じられ無い様に声を上げた。その声は、間違える事も無い、聞き覚えのある声。再びその声は風に誘われて流れてくる。

 ...It wanders on the connection of the time when it followed here...

「…向こうだ、行くぞグレン!」
 高鳴りを抑えきれずカーシュは走り出した。岬を下ってすぐ近くに溢れる森の中へと潜り込む。ぴしぴしと草木が身体中に当たったが、それを気にもせずに一目散にその声に向かって走って行く。その向こうに何があるのかは彼自身は判らない。けれど、『誰が居る』のかは、どうしても判ってしまう。
 居ない筈なのに、此処の世界の住人ではない筈なのだろうに。でもそれで終わりではない気がする、何かが、自分の中で崩れていくのだ。そうではない、そうではないと訴えながら。

 ...As for the prayer to spin to darkness of a star to freeze and to go...

 一層より鮮明に、その声はその木々の向こうから聞こえてきた。近い、そろそろ森が開けてくる頃だ。けれど肝心のその者の姿が見えない。声を辿ってきた筈なのに、左右前後から聞こえてくる様だ、段々と、何処から聞こえてくるのか判らなくなってきて、カーシュは混乱する。

 ...So that may reach your far sky...

 そこから、透明な声は…歌は途切れた。完全に道標を失い、カーシュは呆然と佇む。
 此処まで、此処まで来て、諦めてしまうのか?
 やっと逢えたのかもしれないのに?
 忘れたくなかった存在を、……見つけられたかもしれないのに!
 悔しい、やりきれない。歯ぎしりを起してカーシュは首を振った。
 せめて……その幻だけでも!

ッ小僧ぉ!
はいっ!

 ──!
 その声は、すぐ傍から聞こえた。草を掻き分けて、木の隙間を通り抜け、カーシュは赤い輝きのある方へと進み、森を漸く出る。目の前には赤く染まったままの海、それをひいて、よせてを繰り返す海岸。
 その傍に………幾許か幼い面持ちを持った、少年が驚いてこちらを見ていた。
 丸い夏空色の瞳が、真直ぐにこちらをみつめている……
 ……ああ、そうか、そういう事か……
「あ、あの……?」
 幼い少年は、首を傾げて彼に声をかけてきた。歌の時は気付かなかったが、声変わりがまだの様だ、少しだけ高い声が少年から発せられて思わずカーシュは苦みのある笑みを浮かべる。
「お前の歌が岬から聞こえて来た」
「……えええぇっ!? う、嘘っ、本当ですか!?」
 驚きのあまり立ち上がって、服や足についた砂をはらう間も無く少年はあたふたと手を暴れさせる。自分が歌っている事を誰にも聞かせたく無かったから此処に来たのだろうか。見る間に少年の顔は耳まで真っ赤になって、頭から湯気が出てきそうだった。
「どうも、それを聞いたテルミナの住人が幽霊と間違えたらしくてな」
「す、すいません……」
 俯いて、もう顔を上げられない程恥ずかしさを感じている様だ。今のは追い打ちをかけるようだったが、何だか可笑しくてまた更に突っ込みを入れたくなる。
「……奇麗な歌だったぜ」
「……!」
 勢い良く上げられた顔は殊更に真っ赤になっていたが、今度はその瞳はとても輝いていた。ほのかに口端が上げられて、少年は責を切った様に叫ぶ。
「本当ですかッ? あああのっ、変じゃなかったですか?」
「ああ、なかなかな歌だったが、小僧の創作か?」
「ああうう、あの、そ、そうなんです……」
 創作という言葉に照れたのかまた俯いて少年は喋る。
「……途中昔から聞いた事のある様な、不思議なメロディーをいれたから、半分、その、創作…なんですけど」
 不思議なメロディー? 確かに何処か懐かしい感じを受けた歌だったが……何処かで聞いた事があっただろうか。
 そういえば、何処かで……頭を捻っても思い出せず、カーシュは仕方無く少年に問いかけた。
「お前の村の歌なのか?」
 ふるふると首を横に振って、肩をすくめてから少年は答える。
「判らないんです。小さい頃からずっと知っている様で、でも誰からも教わった事の無いメロディーなんです。レナやポシュルは懐かしいと言ってくれるけど、他は判らない、聞いた事ないって。
 …でもすごく大切なものの気がする」
「…… ……お前がそう思うなら、そうなんだろ」
 きっと『お前』の大切な『音』だったんだ──
 見合わせて、二人、柔らかに笑い合う。
 『初めて』出会ったけれど、とても…とても、懐かしい友人。
 例え相手は自分の事を『今』は知らなくても構わない。きっといつか……あと数年もしたら……思い出してくれるかもしれない、今すぐになんて、思い出してくれなくても構わないとさえも思えるのだ。
 …あいつが、怒りそうだけどな。
 それでも今は──この少年が此処に居るだけで。
 目の前に、存在しているだけで………
「セルジューっ? 何処に居るのよ?」
 聞き慣れた声が聞こえて来た、それに耳を傾けて少年…セルジュが声を上げる。
「御免、レナ。今行く!
 あ、有難うございました。これから気を付けます……」
「ああ、今度は堂々と人前で歌ってみな。きっと評判良いぞ」
 とんでもない、と再度セルジュは顔を赤くさせて顔を横に振った。大きな瞳を細ませて、照れながら笑う。
「これは母さんと……将来『逢うだろう』人の為に……贈る歌だから。
 その二人に聞かせる迄は……誰にも聞かせないつもりだったんですけどね」
 失敗した、と苦笑するセルジュにふと疑問を投げかけ……自分が聞いてしまった事を、思い出す。かりかりと頭を掻いてカーシュも苦笑いを見せる。
「…すまねえ」
「いえ、僕が悪いんですから。教えてくれたお陰でここじゃ迷惑なる事も判ったし。…それでは」
 軽く頭を下げて、急いで遠くに見える少女の元へと駆けつけようとする。その後ろ姿にカーシュはつい声をかけてしまった。立ち止まり、こちらを振り向くセルジュに、カーシュは曖昧に声を上げる。前髪をかきあげて、息をひとつつく。
「……またな」
「…? はい、また」
 可笑しな人だと……思われただろうか。
 でも…いいだろう、とどことなくカーシュは思う。
 走り去っていくその後ろ姿を見つつ、目頭が熱くなってカーシュは瞼を押さえた。呆気なく『再開』してしまったので初めはどうとも思わなかったが、今は、静かになってから、じんと心に響いてくる。
 良かった、と。
 あいつを、一人にさせてしまう事は無かった──
 HOMEにも幾人かの仲間は居た……だが、セルジュが最も大事にした人は其処には居なかった。セルジュが仲間の中で最も心を許した者は……其処には居なかった。自分は……其処では既に死人と変り果てていた。
 俺が気にしているだけ、か……
 ふと、カーシュは顔を森へと向けた。後ろを付いて来ていたグレンが居ない事に今になってやっと気付いたのだ。途中まで付いて来た感覚はあったが、それから我を忘れて走っていたので、何時の間にか居なかった事に気付かなかった。
 勘を頼りに、森の中へと入り草木を掻き分けて進んでいく。自分が何処を走ってきたか覚えていない為、一直線に進む事しか出来なかったが、森が開けて岬への道が目の前に現われた時、その脇の方で緑灰髪の青年が膝をついて口元を覆っているのを発見した。急く事もないだろうと、ゆっくりとした足取りで彼の元へと向かう。
 目の前にまでたどり着いてもグレンの反応は無かった。口元を覆い、うつむいて、じっと声を殺している。
「……グレン?」
 答えは、直には返って来なかった。
 身体が錆び付いているかの様に、ぎぐしゃくな動きで首を振り、今にも泣き出しそうな声を漏らす。
「……あ…の、歌……」
「あの歌? 小僧が…歌っていたあれか」
「……クロノクロスを、発動した時に…流れた……曲だ……」
「!」
 クロノクロス──欠けた竜の涙を掛け合わせる事で生まれたエレメント──それをグリッドに装備すると、エレメントを発動する時に繊細な音を奏でる不思議なエレメントでもあった。それを使って、時喰いと呼ばれる空間に潜む者を……時喰いに捕われているサラを……解放しなければならなかった。それをどうやるのか、誰も判らなかったのだが……
 セルジュだけ、どうすればいいのか、判っていた様だった。
「最初、判らなかった……違う、最初の部分はあいつの創作だと思う……途中、中盤……あの曲が聞こえてきて、いきなり、あの時の事を思い出して……
 俺、これからも逢えると思ってた……だけどさっき気付いて、でもセルジュは此処に居て、だから、俺……ッ」
 目元を覆い、肩を震わせるグレンの、頭をくしゃりと撫でてやった。

 …ぴぃん……

 何か、透明な音が弾けたのを空耳の様に聞いた。それに驚く事も無く、カーシュはグレンの隣に座り込み、膝を抱えて顔を隠してしまったグレンの肩を、優しく叩く。
 自分の頬に温かい滴の様なものが滑り落ちて、それを拭いとる事無くカーシュは空を見上げた。夕闇に差し掛かったその赤く黒い空は、彼にはとても温かく、なだらかなものに感じられる。

『 例え全ては仕組まれていた事だったとしても、
  例え全ては誰かの手の内の出来事だったとしても、
  『あの人』の全てが手の内で決められていた事ではない。
  …少なくともボクは出会えて良かったと思っているんだ、これでも。 』

 セルジュではない『何か』のあの言葉が思い出された。今なら、予想でしか無いが……あれが『何か』という事は予想出来る。でももう恐ろしいとは思わない。何故なら、あれも、セルジュに出会えた事は間違いでは無いと、言っているから。
 ……仕組まれていたって、決められていた事だったって、『セルジュ』と逢えた事は、決して悪い事ではなかった。だから忘れたくないと思ったのだ、彼と居た時は……少なからず、いいものだったから。
 誰かの意志じゃない、これは……俺の意志なんだ。
 もう誰かによって編まれた運命を歩む事は無いのだ。
 全てはこれから、運命という鎖から解き放たれた、本当の人生……──





「……帰ろう。ダリオやリデル、マルチェラ、ゾア……大佐、それにイシトも待ってる。
 リデルお嬢様とダリオに、このとびっきりの祝賓、渡してやろうぜ」

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