物置らしき所だった。突き当たりに扉を見つけ、開けると其処は見覚えの在る通り……寝室の通りだ。右側には天井らしき残骸が新たに炎の壁を作り上げている。左側には……無傷の通りがあった。
[…やっと来たんだ]
 後は見つけられれば良い、大丈夫だ、やれる。
 心の中で高ぶる気持ちを抑えながらぱたんと扉を締め……壁に貼ってある絵を見つけた。それは何処か見た事のある面影…そう、時々みかける、仲間には見えない幼い姿の者達。中でも一際目立つ大きな絵。そこにあどけない文字で書かれたスペル。
『RUCCA』
 眼鏡の向こうの瞳から涙が流れ、只管自分に何かを訴えていた紫の髪の少女が思い出される。
「この人が……」
 酌になるが、ヤマネコ……フェイトの口からその存在の名を知った、キッドの大切な者。その他にも見知った絵は2枚あった。金の髪のポニーテールの女性、バンダナを額に巻いた茶の髪の青年、どれも子供達によって描かれた絵の下に文字があり、ルッカの絵の下に書かれた大人の文字をなぞりながらセルジュは呟いた。
「『お姉ちゃんって、呼びなさい』……」
 幸せだった跡が無残にも炎によって塵と化していく様は見てられず、セルジュは駆け出した。幸せだった日々がこの炎によって燃やされていく。この情景を目のあたりにしたキッドの事を思うと、胸を締めつけられる気がした。
 だからあんなにもヤマネコを追いかけた。狂気にも、狂喜にも似た瞳で仇相手を見ていた。この惨劇を作り上げた者を知っているが為に、幸せを崩されたが為に、…護れなかったが為に。
「……お姉ちゃん!」
 向こうに見える部屋の扉の向こう側から聞き覚えのある、しかし幼い声が耳に届いた。
「ルッカ姉ちゃん!」
 必死に何かを叩き、金属物を動かす音、熱い空気を吸いむせりながら必死に大切な者の名を呼ぶ……
自分がその場に着いた時にはその姿は扉の向こうへと行ってしまった直後だった。
「………っ! キッドぉ!!」
 目の前に赤きモンスターが立ちはだかろうとも、炎が道を塞ごうとも、もう彼にはその奥しか見えはしない。……キッドしか、見えはしない。
よ、っっけろおおおぉぉっっ!!
 ひとつの動きをも見せる前にモンスターはふたつに分かれてそのまま崩れ落ちる。火を消す道具がある事も忘れ、顔を庇いながら炎を突き抜け……通り抜けたその向こうに倒れている少女の姿を見つけた。慌てて駆け寄り様子を見る。気絶しているだけだと知り、ゆっくりとセルジュは顔を上げ、部屋の奥へと視線を向けた。


 子供の叫び声が響く家……その家の一番奥。
窓の近くに佇むひとつの黒い姿がある。
彼の存在に気付いてゆっくりと振り向き、見覚えのあるその瞳は、すぅ…っと細くなった。
 その者の前に居た赤い道化師姿の者も気付き、振り返る。
ちりん…と鈴が鳴り響き、その者は相手の姿を見つけると、口の端を上げて笑った。
「………………ツクヨミ、ヤマネコ……」
 何も答える事なく、その二つの存在は光に包まれてその場から姿を消した。


 同時に少女の意識が戻り、身体を起こした。目の前に居た筈のふたつの存在が居ない。前へ進もうと足を踏み出し、身体が揺れて隣に居た青年に身体がぶつかった。
 その事でセルジュは少女……キッドが目を覚ました事に気付いた。このまま通り過ぎさせていいものかと思った刹那に、ふ…と何か不安がよぎる。
 腕を掴み、何が起こったのか判らず抵抗するキッドを無理に引き連れてその部屋から出る。すると後ろからのけたたましい音に振り返った二人は息を飲んだ。部屋の天井の破片が大量に落ちて地を揺らしていく様を見、後少し出るのが遅れていたら……と冷や汗まで出て来る。
「ルッカ……姉ちゃん……」
 部屋の奥を呆然と見るキッド。その姿を見、心の中に生まれた感情を殺してセルジュは目の前の火を消し去り、再び少女を連れて走り出した。
 物置を這上がり、出て来たその場にあの少女の姿はなかった。火はベッドを焼き付くし、向こうのテラスは炎に包まれている。捜す暇も無く心配するキッドを引き連れて、無傷とまではいかないがまだ通れる様子の階段をかけ降り広間へ繋がる扉を蹴破った。その扉に火がついていた所から、その先はもう……
 予想通りに一面の火の海が広間を漂っていた。真中に待ち構えるモンスターが唯一無事に通れるだろうという一本道を塞ぐ。
「ここに居て。動かないでね」
 少女を扉から少し出た所に待機させ、彼は迷わずモンスターに立ち向かっていく。その真直ぐな様子をじっとキッドは見ていた。身も知らぬ自分を連れ出し、外へと逃げ出そうとしている。目の前に現われる障害に屈せず、己の身に何があろうとも少女の身は絶対に護りながら前を進む後姿。

あの人は、誰?

 ぱきん、と木が弾ける音が鳴りキッドはその方を見た。上のテラスの手すりの残骸だろうか、木の棒が積まれて燃え上がっている。その中で、ひとつだけ変に突き出す木がひとつ。
「…?」
端が5本にも分かれている、細い……………
「…っっひぁっっ!」
「キッド!?」
 恐怖の色を出す叫び声にセルジュはモンスターと対峙している事を一時忘れて後ろを振り返った。キッドが柱時計の方を見て怯えきった表情をしている。何があったのかが判らない、向こうには何がある?積まれて燃える木……ひとつだけ突き出すものがセルジュにも判った。
……まさか、
 ばぐっ
 後ろからまともに攻撃を受けてセルジュはまたもや吹き飛ばされた身体を片手で支え、倒れる事だけは回避する。背に響き渡る痛みを堪えて向き直りすかさずグリッドを表わす。青い光が辺りに浮かび上がる光と共に弾けて、氷の塊が地から突き出す。ぱしんと崩れる氷と共にモンスターは倒れていった。障害が無くなった事を安堵する暇も無くセルジュはキッドの元へと駆け寄る。
「どうしたの、何かあったの?」
「あ、あ、あそこに……」
 気休めにも何にもならないが、かける言葉が見つからずセルジュは在り来りの言葉を言った。キッドが見る方向に何があるのかも判っているからこそ、自分にも言葉が出ない。ふるふると首を振る小女は、錯乱気味に泣き始める。
「嫌だよ……こんなの………… ……もう嫌……嫌ぁ!」
「あ、待…… ──────」
 耐えられず駆け出したキッドを目で追掛け、彼はキッドの名を呼んだ。気付かず、振り返りもせずに走るキッド。
 突然後ろから腕が伸び、少女は後ろから抱き締められた形になる。その腕の中から逃げ出そうと暴れるも、もう片方の腕は首元に回されて上から身体が被さってくる。
次の瞬間、ご…と鈍い音が連続して響き少女は肩をすくめて音と共に地が揺れるのに声も無く怯えた。辺りの火も上からの『何か』の落下によって踊る様に火花を散らし、一層部屋を明るく照らす。
 その音が静まった頃……少女は自分の身に何も起こらなかった事に気付いた。無我夢中で忘れていたが、自分は青年に抱き締められていた筈……? 思った途端青年の身体がぐらりと横へ揺れ、それと共に彼の上から木の破片が音を立てて床に落ちていくのを見て、キッドは漸く天井から落下してきた破片から自分を庇ったのだという事に気付いた。
 片手と片膝をついたセルジュに、キッドは手を差し伸べて肩を支えた。頭への直撃も来たのか目の前で深海髪の隙間から赤い液体が流れ落ちていく。伏せ目がちだった夏空色の瞳は自分を見て、にこりと細めて笑った。
「良かった……無事だね」
「…………どうして」
「生きていればその内判るよ。だから、君は生きなくちゃならない。
 ……ううん、生きて欲しいんだ。僕がそう勝手に思っているだけ」
 緩い動作で立ち上がり、セルジュはキッドの幼い手を握る。
「……生きよう」
 真直ぐな瞳は、空色の瞳を持つ者にどう写ったか……それは判らないが、握り返された感触に微笑み、セルジュは走り出した。
 この悪夢から、抜け出す為に。




 小高い丘まで移動した時には既に周囲の森にも火が回っていた。その間を潜り抜け、二人は漸く火の手から逃れた場所へと辿り着いた。遥か向こうに見える赤い光は今まで自分達が居た場所……
「燃えてなくなる、"家"が……! ルッカ姉ちゃんや、皆が……
 どうして……?どうして、こんな酷い事が……!?」
 自分の家を見つめるキッドの瞳からは絶えず涙が頬へと落ちていく。しかし"泣き"はしないのは、あまりの衝撃からなのだろうか。そう考えつつ、セルジュは罪悪感に苛まれていた。勢いでここまで来たのだが、本当の所連れ出して来て良かったのだろうかという思いが拭えない。
「あなたも……行っちゃうの……?いなくなっちゃうの……?
 また、わたしだけ置き去りにして……皆……皆、何処か遠くへ……。」
 空色の瞳が自分を見る。その瞳には、あまりにも情けない自分の顔が写っているだろう。
何処にも行かない、一緒に居たい。この少女を一人にはしたくない……けれど。
「……ごめんよ……!」
 自分が今此処に居るのはグランドリームの助力があるからこそ。ドリーンの力の限界が来たら仲間と同じく元の時間へ戻る事になるのは判っている。生易しい言葉をかけるのは、一人とり残される少女には更なる孤独感を味あわせるだけだ。
「いや……、置いて行かないで。
 わたし、どうしたら……」
 顔をくしゃくしゃにしながら泣き始める少女を見てられずセルジュは膝を付いて視線を合わせた。涙の痕でぺたぺたになっている頬を撫で、優しく口付ける。そのまま、キッドの幼い肩を抱き締めた。
 しゃくり上げていた声も無くなり、少女はセルジュの服の裾を掴み…目を閉じる。
「ひんやり……。
 あなたのほっぺ……。」
 その時だけ、空間が鋭い刺を隠した。触れた彼の頬のほっとする様な冷たさ、身体を包む腕の暖かさに少女は身を寄せた。
「……。ありがとう……、来てくれて……。
 いつか……
 いつか、また会える……?」
「…会えるよ。きっと…」
 その言葉を最後に、自分の身体が強い光によって引っ張られていくのを感じた。
自分の時間に戻る時が来た……
自分のした事が良かったのか悪かったのかは自分には判らない。でもせめて、彼女の目が覚めてくれるのを祈るだけ……その後で恨んでくれても構いはしないのだから。
「きっと……会えるよ、キッド……」
 時空移動する時の様な地の無くなり、重力の無くなりを身体に覚え、辺りが真っ白になり……セルジュは『この場』から消え去った。
 そして、その場所には少女のみが残される。



 無重力の状態から重力のある場所へと移り、セルジュは崩れそうになって膝を付いた。ぺたりと付いた木の床はアナザーのラディウスの小屋の床。…とうとう、帰って来てしまった。
「セルジュ!戻ってきたんだな」
 後ろから聞こえるグレンの声に答えようと立ち上がり……目の前で何かが動いたのに気付いた。
すらりとした足が床に付き、上半身がベッドから離れる。顔を上げたときに首を飾るペンダントがからりと鳴る。
照れる様にキッドは立ち上がって、ゆっくりと言った。
「セルジュ……久し振りだったな。
 ここに居るよ……俺は……。」
 クロノポリスから目を覚まさなかったキッドが今目の前で、自分に向かって話しかけた。やっと取り戻せた事に自然と笑みが浮かぶ。
「……そうだね、お帰り、キッド」
 言いながら微笑むのにつられてキッドも笑い返した。久し振りに見た、彼女の微笑み……
「どうやら取り戻す事が出来たようじゃの。これもセルジュの愛の力かの」
 突然にかけられた声はラディウスのもの。一瞬の空白の後、二人の顔が真っ赤になり……声を荒げたのはキッドだった。
「…ふっざけた事言ってんじゃねぇよジジィ!」
「カッカッカ!それぐらい元気があれば十分じゃ。
 さて、急ぐ事もあるまい、今日はゆっくりと休むがいい……その前に、セルジュの治療もせんとな」
「え?」
 名を呼ばれて判らず声を返すセルジュ。は?とグレンとその隣に居たカーシュはセルジュを見、声を上げた。キッドも、忘れていた事を思い出すように、あ、と叫ぶ。
「そういや……」
「セルジュ、おま……!」
「おい、小僧それで平気なのか!?」
「へ?平気って何が……あれ?」
 首を傾げる動作をすると、重みが傾いた所為か身体がかくんと横に傾く。そういえば、妙に頭が疼く……身体もあちこちが熱くて痛い。
[……?]
 そのまま、がこんと大きな音と共に意識は真っ白になって消えた。
 ……セルジュはそのままで終わるが……それを見ていた者は大騒ぎになったのは言うまでもない。
「思いっきり頭ぶつけたぞ……向こうでもあいつもろに頭に木ぶっけてたのに……」
「脳に障害でも起こしたらどうすんだこいつ……
 見てんじゃねぇよキッド、お前は小僧を抱えてろ!
 グレンはドク呼んで来い!ラディウス、お湯は何処にあるんだ」
 流石は四天王、癖なのかてきぱきと皆に役目を言い、自分もさっさと何処かに移動してしまう。
ぽつんと取り残されたキッドは仕方なく倒れたままのセルジュを抱え上げ、膝に頭を乗せてやる。顔に流れた血は乾いている。身体のあちこちは火傷と切り傷が見えない所等無い程酷いものだった。恐らく、背中が一番酷い事になっているのだろうが……
焦げた痕のあるバンダナを外す。所々固いのは、血が固まった所だろう。
「……莫迦セルジュ」
 眠っているのか気絶しているのか判らない彼の頬を撫で、キッドはセルジュの首元に目をやった。いつも身に付けているものが『無い』。
 代わりの様にいつもはポケットの中に入れていた星色のお守り袋が懐の中にあるのを見つけ、取り出して見た。あの後、足元に何か違和感があるのに気付いて持ち上げた『もの』が、今手の中に入っている。それは偶然なのか、故意だったのか、誰の知るところでも無かったが。
 お守り袋を口元に近付けて、キッドは小さく笑い、呟いた。
「でも、嬉しかったぜ」




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