朝日の前に目が覚める……
 目の前に金の糸の様な髪の君が今だ眠りに付いているのを見ると、正直ほっとしている自分が居る
 それに気付いたのは何時だったろうか……



[夢の目覚め]

「……おはよ」
「……おはよう…はえぇな……」
 労る様に己の髪を撫でていたその青年の言葉に、彼女は掠れた声で答える。自分よりも遅く眠りに付いた筈なのに起きる時はいつも青年の方が早い。別々で寝ていた時は、まだ夢の中の彼を無理矢理起こしに行って寝顔と寝ぼけ顔を見る事が出来たのに……
「……君と一緒だとね」
 微笑んで答えるが、それだけでは無いのだろう。何が原因なのか今だに判らず仕舞いだが…。
 こんな風にひとつのシーツの上で共に眠りに付く様になったのは何時からだろうか。ふと気付いた様に時々していたのが、最近では別々にという事の方が珍しくなってきている。何もせずとも、何を言わずとも、只お互いの存在を確認しあうだけ……それをしなければ何処か不安で心配で気が狂いそうになる。
 さらりと金の髪を泳がせる手……半ば眠りの中に居る彼女の頬をそっと撫でる。
「起きれる……? まだ寝てても大丈夫だけど……」
 眠りを妨げぬ様低く優しく声を出す。彼も何時からこんな風に彼女を労る様になったのだろう。
何時から彼女に取る態度が柔らかく、強くなっていたのだろう。
何時から……二人で夜を過ごす事に苦笑しなくなっていたのだろう。
 その変化に気付いたのは再開した時……過去から彼女を救った後……逢わぬ間にどんな事があったのだろうか、彼女には予測も出来ない。聞き出す事も……怖くて出来ない。
 彼が辛い顔をするのは予想できるのだから。
「………」
 彼の手の体温は適温、冷えて冷たいとも、暖かくて熱いという訳でもない。人の肌という気持ちの良い温度に触れて彼女はまた瞳を閉じるのを見、儚い微笑みを浮かべて彼はそっと呟く。
「お休み、キッド……」










 夢を、見た




[おはよ、キッド]
[ああ……おはよぉ……]
[ほらほら肌着めくれてるよ。起きたばっかりのキッドってこんなに可愛いんだ]
[…うるせ、お前だって同じだったんだぞ?]
[………それは言わないでおいて……]

 過去………? 眠りの海に揺う様な意識の中、その声だけがはっきりと聞こえる。

[……あ、キッドちょっとまって]
[…?]

 映像はぼんやりとだけ……だけどそれは何処か、何時か、見た事…いや経験した事のある……

[これ、キッドにあげるよ。つけてくれる…かな?]
[…リボン? お前こんな趣味……]
[あるわけないじゃないかっ! ……僕が編んだんだよ……初めてだったから雑だけど]

 ……ああ、そうだ。そう、彼女は記憶の海に飲み込まれていた破片を思い出した。

[…細かくて丁寧だぜ? 十分……どうやって作ったんだか…]
[恥ずかしい話だけど、母さん得意だから教えて貰った……]

 彼女にあげるのか、彼女が出来たのかといろいろ冷やかしを受けた、と彼が顔を赤くしながら笑うのを思い出す。

[……本当に俺に?]
[君以外誰にあげる?]
[…………]

 正直、嬉しかったのが本音……しかし、照れ臭くて口に出す事が出来なかった。だから彼にリボンを渡して、彼女は彼に背を向けた。

[…有難う]

 本当は自分が言うべきなのに?この時ふと疑問に思ったが、口には出す事はなかった。器用に彼は彼女の金の糸の様な髪を纏めて、金具で留める。そこから織布を巻付けて取れぬ様きつく縛る。

[……つけなくてもいいから。手放さないで……いて欲しい]

 途端、低い声が耳元で囁き……びくりと体が震えたのをはっきりと覚えている。今まで意識していなかったのか彼が男だと言う事を…その時実感する。

[僕の血だけに効くものなのかもしれないけど、お願いだから………]
[セルジュ……?]

 何時もとは違う、低くて……暗い声。………不安になっている?

[………]

 震える様な微かな息を吐き、目の前に座る彼女の肩を抱く。彼の行動に戸惑いを感じながら首元にうなだれる彼の頭を、彼女はそっと撫でた。

 後で知った事……あのリボンにはじっくり見てみなければ判らない様に赤い染みで模様が描かれていた。見た事があったのは、それが彼の木で作られたペンダントにも描かれていたからだ。肌身放さず付けていたのを気になり、聞いてみた所『お守りだから』とあっさり言われたが……


ぱ ん … っ


 突然の、フラッシュバック。

 目の前がかっと赤くなる瞬間。左腹部の少し上が熱くなった途端目眩がし、足元がおぼつかなくなる。
ふらりと一歩揺れて前を見ようとする。左目の前に居るのは見知った姿の人物の筈……なのに、今起こった事は一体?
 どさり…
 肩を避けられて言うことを聞かなくなった身体はどっと床へと倒れ込む。身体全体に響き渡る痛みと熱さの所為か、意識が真っ白になっていく……
 [……キッドォ!!]
 一番憎らしき者の声が自分を呼ぶ……でも一瞬その声は"あいつ"の声に聞こえた…


ぱ り ん … っ


 2度目の、フラッシュバック。

 目の前に居るのは全身黒服の猫科亜人。ずっと探してきた最愛の者の仇。

 [キッド…]

 名を呼ばれても構わず斬り付け、一閃した後に赤い液体…血が大きく舞った。防御もせず、彼女の攻撃をまともに受けていた。

 […キッド!]

 仲間に留められている状態でも今にも飛び出しそうだ。何を言われようとも、『セルジュ』が何を言おうとも、彼は其処から退く事はしなかった。
後に仲間に引き連られ、空からの援助によって彼は逃げて行った。



 知らない記憶、覚えていない記憶……だが確かに『その現実』は在った。自分の中の何処かでその記憶を肯定している。
……自分が見ていた者が全て『セルジュ』である事も。
そして、その中で居た『セルジュ』が『セルジュ』でなかった事も。

 [セルジュ……ここに居るよ、俺は……]
 [……そうだね……お帰り、キッド]

 微笑んでくれたあの笑顔の中には己に対する痛みが隠されていたのか……?



「……キッド」
 その声ではっと意識を浮上させたが、あまりにも急だった為に目眩を起こして一瞬何が起こったのかが理解出来なかった。
 一度目覚めた時と何も変らない光、朝の涼しさ、違ったのは近くの窓が開けられて風が部屋の中へと入り込み、窓幕が揺らされていた事。
深海色の髪と夏空眼の彼……セルジュが身を乗り出してキッドの顔を覗き込んでいた。
「セルジュ……?」
 声色が何とも無くほっとしたのか、セルジュは小さく微笑んでキッドの目元をそっとなぞる。すっと何かが取られていく様な感覚を覚え、彼女は反対側の目元を擦ってみると、滴が手についた。
「……俺…泣いてた?」
「ごめん……声も無く涙がこぼれてたからびっくりして…… ………、…キッド?」
 身体を起こして彼女の横に座ろうとした間に腕を引っ張られ、セルジュは慌てて手で自分の身体を支えて彼女の上に倒れる事を回避する。構わずにキッドは彼の服を掴み、胸に顔を埋める。
「夢を見た」
「夢?」
「お前がヤマネコになっていた夢だ。」
「っ! ………、 ……。 …………」
 どう、答えれば良いのか……あの時の彼女はセルジュ…フェイトに意識を操られていたらしく、何も記憶になかった筈だが…。 どうにも言葉が出て来ない、セルジュは出し掛けた息を飲む。
「……莫迦みてぇ。」
 く、と胸の中で彼女が自嘲的に笑う。
「全然……気付いてなかったんだな……覚えてさえもしてなかった。
 お前の瞳だったのに。」
 変にさえも思わなかった、目の前の偽りだった彼をずっと彼だと信じ込んでいた。何もかも違うというのに、表情も、目つきも、口調も、仕草も、自分に対する触れ方も……対応の仕方も。全て違う、違ったのに只外見が『セルジュ』だったという事だけ…それだけで、それだけで………
「キッド」
 しがみついていたキッドの身体を優しく抱え、そっとシーツの上へと降ろした。ベッドの上へ這上がり両肘を彼女の頭近くで付いて身体を支え、出来る限り顔を近付けさせる。
「僕が見える?」
「な、にを……」
「僕は、誰に見える?」
「………っ」
 ふわりと、彼が微笑む。
「キッドは言ったね、『俺はここに居るよ』って。
 君が言った様に、僕も此処に居るんだよ……キッド。
 でもそれは君にとっては違う僕なのかも知れない、……じゃあ、僕は誰?」
 ……………敵だった筈のカーシュが前に顔をあわせた時に言っていた。
『お前が「セルジュ」を地に降ろしている』……と。
 キッドが復活した際に大宴会した時酔いかけのスプリガンが言っていた。
『あの子が「セルジュ」で居られた理由がよぉく判ったよ』と。
 初めは何を言っていたのかが判らなかった、判りもしなかった。その「夢」が「夢」ではない事が判った今……理解した。

 初めはふとしたきっかけだった。
 次は自分の我がままだった。
 今は……ふたりの想いが重なっていた。

「セルジュ! ふざけんな、お前以外誰になる…っ」
 間近で見るセルジュの本当に嬉しそうな笑顔が逆に想いを募らせて涙が溢れそうになる。小さく笑いながらキッドを抱きかかえ、セルジュは己を仰向けにして自分の上に彼女を乗せた。
「ごめん、いじめたな……はじめて僕がキッドをいじめたんだ。」
 くすぐったい様に笑う彼。 どうして笑える? どうして自分に優しくできる? 言葉も無く何を安心出来る?
 反論したいが、声が上ずりそうで出したくても出せ無い……逆に涙がどんどん溢れてくる。
「……ごめん」
 落ち着いた、低めの声でセルジュが言葉を紡ぐ。
「判るけど、キッドの悪い癖だ。 僕は今此処に居る、キッドも此処に居る。
 過去に何があろうとも今を見ようよ……」
 君と同じ傷は持って居ない、持てないし判らないだろうけど……
 けれど君と同じく傷を負った事はある、過去を悔やんだ事がある。
 だから、もう過去に囚われないで。
 自分と共に前を見ては、くれないのか……?
 言葉の代わりに彼女の腕が彼の背に回され、きつく服を握り締められる。
「……有難う」
 言われるのはいつも逆、頼らせている様で頼っているのは自分。
 どうして……何もかも許せるのだろうか……
 こんな時に思い出すのは炎の中で強引に手首を掴んで引っ張っていた彼の後ろ姿。天井の破片が頭上に落ちてきた時に覆い被さり、痛みに耐えながら微笑む表情。抱き締められた時に触れた、ひんやりとした頬…………

「キッドは僕を支えてくれた。だから……今度は僕がキッドを支える番なんだよ」
 そう呟いたのは彼女に届いていたのだろうか。


「……無理にでも入ってくべきだったのかな」
「グレン?」
 きぃ…と小さく戸の音を立てて入ってきたのは緑灰髪の青年、グレン。手に二人分の朝食が用意してあるお盆…それを見てセルジュは苦笑した。
「ごめんグレン、迷惑かけたみたいだね。」
「いや、謝るのは俺の方だ、……その、入るに入れない状況だったから扉の前で突っ立ってた。」
 お盆をテーブルの上に静かに置きながら、ばつの悪そうに彼は言う。俗に言う、盗み聞きというものだ。
「僕は別に構わないけど、……キッドはレッドニードル連発しそうだから内緒にしておこう……」
「だな……」
 一瞬眉を潜めた後、二人は顔を合わせて苦笑いをした。二人とも彼女が顔を真っ赤にしながら己の得意技を連発するという暴走姿を想像したらしい。ベッドの右側に置いてある椅子にかたんと座り、ふぅ…とグレンが息をつく。
「俺も謝らないとな」
「? …何を、いきなり?」
「お前がヤマネコだった時に俺はお前を否定した」
「………無理もないさ」
 ヤマネコの姿でセルジュだと言われていても、今までセルジュは人間のセルジュだった。そう簡単にそうか、と認める事は容易ではない。それはセルジュも判っているし、理解もしている。
「でも、傷ついただろう?」
「……それは、そうだけど。
 僕だって最初は信じられなかった。ツクヨミに言われて少し心がぐらついた。
 自分で自分を否定したかった、こんなの夢だって思いたかった。」
 運命は自分を潰しにかかるだろう……その言葉を言われた時に運命は既に自分を潰し始めていた。殴られた時の様な衝撃、目眩の様な喪失感、絶望感、混乱、哀愁、不安……
 自分が遠い空を見つめていたのに気付き、ふっと肩を落してセルジュは棚の上のものを引っ張る。
「これを持っていたからそのまま目眩に身を委ねなかった」
 それは、ヤマネコの姿でも持って居た彼女の「お守り」。
「これがあったから母さんの所に行けたんだ。母さんも僕を信じてくれたし、ね。
 後の方ではツクヨミにすごく助けられたし……
 そこですとんと肩の力が抜けてった。ヤマネコになってしまったのなら仕方無い、戻らないなら戻らない、戻れるなら戻ろう。何とかなる、ってね」
「……お前の土壇場の楽天には感心させられるよ」
 これが取り柄だから、とセルジュは悪戯っぽく微笑んだ。しかしすぐに瞳は元に戻り、また遠くを見始める。
「…でも時々楽天になれないから、完全楽天主義とも言えないけどね」
「あの時の事か? ……ま、自分の好きな人の事だったら、誰でも鬼になれるし狂えるものさ」
 苦い表情でグレンが言うのを横目に、ごめん、と小さく謝った。最近は自分と行動していた為と彼の様子からして、今だに適わぬ恋をしている事を時々記憶の彼方に置いて行ってしまう。 じろりとグレンの視線がこちらを向き、何か言われるかと思いきや…こつんと頭を叩かれるのみ。
「謝る必要なんて無いさ。 お前は気にせず目の前の事に一生懸命になりなさい。」
 こういう事に関しては年上だと言う事を見せる彼に微笑み、自分の胸の中で眠る愛おしい人を改めて見た。少し頬に残る涙の後を優しく撫でて、柔らかい金の髪を後ろに流す。


「……そうだね、そろそろ夢から目覚める頃だ」
 夢ではなく現実を。目の前に居る大切な者を。






「……所で、重くないのか?」
「…それキッドに聞かれてたら怒るよ;レッドニードル所じゃないって…」
「でも寝てるんだろ?」
「え、いや…そうだけど」
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