そろりと、子供が幕を開けて外を覗く。急に暗闇に光が入り込むのに中に居た者の殆どが目を眩ませたのだろうか、子供の母親が小さく子を叱った。ぶつくさと文句を言いつつも幕を閉じると、子供はそのまま手摺に背凭れて、そこの隙間から外を伺っている。
 目の前で子供の様子を見ていた彼はつられる様に幕の結び目の隙間から外を見た。見えるのは、自分達が乗っているものと比較的に似たつくりの馬車に、それを囲む様に歩を進める馬と馬に跨がり辺りを警戒している傭兵達。そしてその奥、一面の荒野。
 この辺は雨が少ない。故に草木が育ちにくく、更に過去の戦で緑の大半が焼き燃えてしまい曝け出された地面が乾き、ひび割れていた。土の表面が砂となり吹く風に混じり、全体的に埃っぽい。口を開けていたらざらざらと砂が入り込み、水分がとられていくので注意しなければならなかった。
 北へ向かう大陸の一角、人には住みにくい土地ではあったが、移動に使うには最適の所だった。昔はここも渇きに強い草木が育ち緑のある土地であった様だが、戦により緑が失われてしまったらしい。現在北から緑化運動を行っているらしく、ここを通れば次第に緑の多い土地に戻るそうだ。
 がたん、と馬車が大きく揺れた。石に引っ掛かったのだろうか、彼は慌てて馬車の中を振り返る。先程迄外を見ていたので視界が闇に慣れずぼやけたが、何となく様子は見えた。
 自分と向かって正面側にいる親子……親切にも、自分達をここに乗せてくれた人だ……、その奥には彼等の荷が置かれていた。自分の左下には毛布に包まり眠る自分の伴侶、その少し先には金髪碧眼の男性が座って奥を見ている。彼の視線を辿る様に奥へ視線を向けると、幼い双子に囲まれて横たわる、藤色の髪の男性が居た。
 双子に視線を送ると、片方が顔を上げて首を横に降る。どうやら彼は先程の振動で起きなかった様だ、ほっと安堵の息を付く。
 もそもそと視界の隅で動く気配があった。見やると、自分の伴侶が身体を起こしかけて居た。どうやら彼女は目を覚ましてしまったらしい。そっと、金の糸の様な細い髪を撫でて声をかける。
「大丈夫かい」
「ええ…私、どのくらい?」
「まだそんなに経ってないよ、二時間くらいだ」
 毛布に包まりつつ彼の隣に背もたれると、彼女はぼんやりと馬車の中を見回した。と、奥の彼に目がいったらしい、ふと溜息を付く。
「やあね、あんな振動があったのに起きなかったの」
 呆れた声に自分と、彼女の隣にいる金髪の男性が苦笑いを浮かべる。
 それだけ彼が深い眠りに付いている事が判るのだが……その様子が何となく妙で、ほっとしている様で、複雑だった。
 複雑な彼等の様子に気付かず、男性は刻々と眠り続けている。彼の頭の丁度真上に、自分の子である双子の片割れ…妹の姿があり、彼は今、その妹の膝を借りて眠りに付いている状態だった。今思い出しても苦笑が込み上げる。移動する間は休んでいてくれと畳み掛けて、彼が渋々横になろうとしたら……彼女が、ここで眠れと膝を出してばんばんと叩き構えていたのだ。十も行かない子に三十も越えた男がそんな事してもらおうと思う筈もなく、はじめは彼も拒否していたが、彼女は幼いながらも非常に強情で、粘り強い。今までの道程でへとへとだったのだろう、彼は結局根気負けし、彼女の膝を借りて眠りに付いている。満足そうに彼の藤色の髪を撫でて居た自分の子と、思いきり溜息を付いて居た男性の姿は、なんだか不思議な光景だった。
 妹の横には、彼女の兄が座っていた。ぽそぽそと妹と話ながら、そっと男性の髪を撫でている。
 そんな自分の子供達の様子に、どうしても苦笑が消えなかった。
「…疲れてるみたいね」
 ぽつりと、隣の彼女が呟いた。答えたのは、その隣の金髪の男性。
「随分とあの身体で無理をさせてしまったからな…しかし、大分良くなって来てはいる様だよ。
 ……あのままエルニドに居させていたら、どうなっていたか……」
「…そうだね」
 低く、長い溜息を漏らす。エルニドに出る前に、知り合いの医者から言われた言葉をふと思い出してしまった。
 過度の睡眠不足に、連日の活動による体力消耗、傷による熱…それが一気に起こり、彼の体調は今現在崩れやすくなっていた。エルニドに居た時には本来ならば動けない程消耗し切っていた筈なのだ。なのに、彼は起き上がる。それは、すぐ傍に自分を頼る者がいたからだ。
 自分が所属する場所に誇りと責任を強く感じ、それを全うしようと常に全力で物事に取り組む。それ以上に、彼は周囲に気を配るのが上手く、部下により良い場所良い行動を取らせる事ができる。結果彼より下に居る者達が彼を頼る。それに答える為に彼は起き続けなければいけなかった。それが繰り返し。
 あのままあの地に留まらせていたら、突然ばたりと倒れて過労死するのではないかと気が気ではなかった。……実際、倒れた事もある。
 皆で言訳を重ねに重ねてエルニドから出して来たものの、ただ一所に留まる為に出て来た訳でもなかったので、思う様に彼の状態が回復しなかった。悪化するよりはまだいいのだが…
 ふ、と軽く息を吐く。
 なるようになるしかないとは、思っているのだが。
「やっぱりもう少し毛布か何か必要かしら」
 はっとして、彼は顔を上げた。目の前の親子の母がじっと自分を見ていたのに気付かず、あらかさまな溜息を吐いてしまった。彼は慌ててふるふると首を横に振る。
「いえ、大丈夫です。乗せてもらっただけでも随分有り難いのに…」
「でも彼は怪我人なのでしょう?そんな人はちゃんとしてあげないと」
 横の荷から肩掛を取り出して、せめてこれだけでもねと女性が立ち上がり揺れる馬車の中を気にする事なく歩いて行き、上からそっと彼の肩にかける。普段は傍に人が寄ると癖で目が覚めるのに、一向にその様子がない。女性に感謝の意を述べつつも、彼の状態を心配した。前の街までは徒歩もあったので、その分の疲労が今出ている様だ。次の街に着いたら医者を呼ばなくてはと思う。
「もうすぐ昼で一度止まるから、何か身体に良いものを作りましょう。昨日は聞けなかったのだけれど、彼は好みとかあるのかしら?」
 子供の隣に戻り、座りながら母親が言う。恐縮しながら答えたのは自分の伴侶。
「さっぱりとしたものを好むみたいですけど、彼は基本的に出されたものは食べますので…すみません、お気遣いさせているみたいで」
「怪我人は労らないと。それに、うちの子供の相手もしてもらってるし、お互い様ですよ」
 ふふと母親が笑い、外を見続けている少年の頭を撫でる。少年は一瞬ちらりと中を見たが、またふいと外を見つめる。昨日は彼に相手をしてもらっていたのだが、今日はその相手の具合が良くなく寝ているのもあり、その眠りを妨げるのを防ぐ為騒ぐのを母親が禁止しているのもあり、少し暇そうだ。
 彼女達はこの辺りを行き来している商人の一家で、現在場所を移している所だった。荒野は盗賊も多く物騒なので他の旅商人達と資金を集めて傭兵を雇い、集団で移動しているのだという。そのひとつに乗せてもらえないだろうかと声を掛けた所、この一家が受け入れてくれたので、便乗させてもらっている。現在前で馬の手綱を持っている夫の方は最初渋っていたが、昨夜の夕食の際に話が弾み、今ではいろいろと気に掛けてくれている。
「すいません、リューイへはあとどのくらいなのでしょう?」
 金髪の男性が丁寧な口調で尋ねると、そうね、と母親が視線を外にやる。
「今回は東寄りのルートを使っているから、今日を含めてあと四日って所かしら。
 …昔はこの辺りにも街や村があったらしいけれど、もう跡形もなくて。
 せめてここの周辺にひとつでもあったら、少しは移動も楽になるんだけど。」
 苦笑を浮かべて母親が紡ぐ。彼女の母がそんな話をしていたのだろうか、この地が乾き始めたのは随分と昔の話だが、この一帯が荒野と化したのはそう遠くない筈だ。
「それにしても大丈夫?もしかして急いでいたりとかは」
「いえ、大丈夫です。」
 そうと頷くと、母親のそれ以上の言葉はなかった。彼女の気遣いには随分と助かっている。
 おかしな団体だとは知ってはいる。北方の薄い金の髪と冷えた空の瞳を持つ女性に、パレポリ特有の濃い金と青の瞳の男性、中央辺りのよくある藤色の髪と紅い瞳を持つ男性に、南の深い海の色の髪と夏の空色の瞳の青年。まったくもって特徴がばらばらの一行な上にその一人が怪我を負っているというのに、自分達は今現在不穏な噂が漂っている北の国へ行こうとしている。とても観光で行けるような所ではないし、冒険者にしては格好も荷物も不十分で、そもそも怪我人を連れているなんて通常は考えられる事ではない。
 ……本当は何処かで、せめて傷が塞がる迄安静にさせたいのだけれど。それは彼自身が許さないだろう。何処かの街に放っておけば、一人で島に帰ってしまう恐れもある。
 そして、自分達は今何処かに留まれる様な時間は持っていなかった。
 ごとごとと音を立てて馬車が進む。
「──イシト」
 他愛のない話を話し合っていた所に、眠りに付いていた男性が一人に声をかける。名を呼ばれた男性──イシトが彼へ視線を送る。彼は目を薄らと開け、自分の足元の方の幕をじっと見ていた。
「どうした、カーシュ?まだ寝ていても───」
 言葉は、途中で途切れた。彼と同様に幕を見、息を殺す。腰に携帯している彼の武器に手が伸びる頃には、隣の二人もその様子を察知し、警戒していた。
「ど、どうしたのですか?」
 突然穏やかさを消した4人の様子に母親と子は困惑していた。そっと母親が尋ねるが、すぐに答えは返って来なかった。カーシュと呼ばれた男性が上半身を起こし、母親に言葉を返す。
「ラーヤさん、ジェイ。ゆっくりでいい、頭を伏せて中へ移動してくれ」
 何時になく真剣な面持ちにラーヤが息をのみ、戸惑う息子の頭を手で伏せさせながらそろそろと馬車の中央へ移動する。入れ代わる様に金髪の女性が母親の居た場所に移動し、幕の結び目の隙間から外の様子を探る。
「キッド、気をつけて」
「判ってるわ。……来た」
 次の瞬間、馬車の速度が上がった。知らせの笛の音が甲高く響く、暫くすると外から喧噪が聞こえて来た。
「母さん、あれを使わないと」
 ジェイがラーヤに言うと、彼女は慌てて荷物の中からふたつの球状のものを取り出す。蓋をあけると、其処から空へ向かって光が走り、馬車全体に広がって行く。
「防御魔法?」
 目の前の出来事にカーシュが目を丸くする。魔法自体も今では滅多に見掛けられないものになってはいるのだが、彼はそれに驚いた訳ではなかった。物理防御とともに、魔法防御の魔法もかけられたのだ。
 金髪の女性、キッドが声を荒げた。
「伏せて、来るわ!」
 3人が構え、カーシュが親子と双子を庇う様に伏せた次の瞬間、だん、と重い衝撃が響く。それは明らかに物理攻撃ではなく。
「…攻撃魔法、魔法士がいる?」
「その様ね、セルジュ、離れた方が良いわ」
「君こそ」
 続けて響く重い衝撃の音に臆する事もなく、二人は其処から動かない。空に何かを浮かび出し、何やら確認をした後、それを消し去る。イシトはまだ武器を出さず、外を窺っている。
「銃士がいないだけましなのかな」
 苦笑うセルジュにそうだなとイシトも苦笑で返す。
「…セルジュ、どうする?」
「下手にこっちが動いても迷惑だしね…。ここを守るのを最優先で、様子を見よう」
「そうね。カーシュ、そっちは任せたわよ」
「判ってる」
 彼が渋い面持ちで答えたのにキッドが笑顔を返す。
 二人のやり取りを横で見つつ、セルジュは苦笑したまま外へ視線を戻した。一面の荒野、駆ける馬に繋がれた馬車の群、それを囲む様に走る傭兵達に、それを追い掛ける盗賊の群れ。
 ふと、溜息を付く。
「馬は、苦手なんだけどな」



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随分と前から暖めてるその後話
はじめて書いた痕跡が残っているのが2001/03というと…そろそろ二年暖めてるんですか。暖め過ぎですか(泣)
このネタを出す度に言ってますが、いつか出したいです…
なんだか「轍」に続きが書けそうです