眼が醒めたら目の前が真っ暗だった。
 時間的には朝、であった筈。仲間からの声で眼が醒めたのだから多分そうだ、なのに、目の前は真っ暗で。
 暗い?疑問が浮かぶ。じっと目の前を…目の前の光景を見つめる。宿の白い壁と家具が薄暗い中にあるようにぼんやりと見えている様で…
 …違う。
 しまった、と思う。
「どうした?大丈夫か」
 声を掛けられ、反応する様に顔をあげる。大丈夫、と呻き、悟られない様に笑う。彼はほんの少しだけ眼を細め、上半身を起こしただけの少年を見ていたが、それ以降は何も言わず、彼自身の支度をする為に自分の荷のある場所へと戻って行った。
 気付かれぬ様、息を吐く。微かだがその溜息が震えている。
 ──今日は朝から目の前が暗い。
 時折暗くなる事はあった。しかしいつもなら何か思いに捕われたり、落込んでしまい戻れなくなった時だったりした。だから前のいろを思い出そうとすれば、なんとか自分で戻れた。けれど…今日は意識が浮上したら、だ。
 ……思い出せる、だろうか。何かあざやかないろを。
 掌を見てみるも、そこにあるのは灰色の手だけ。肌のいろを思い出そうと、意識せず眉に皺を寄せた時だった。
 鮮やかな藤のいろがさらりと目の前に現れた。
「…」
 一時だけ、息をとめる。全てが灰の中の情景で、それだけが一際綺麗に見えて。
「おい」
 声を掛けられて少年は顔を上げた。見えたのは、紅のいろ。
 あ。
 眼を、瞬かせた。
 一瞬の内にいろが広がって行く。
 そう思ったら、今度は先程よりも暗くなったのに少年の身体が反応した。何驚いてるんだよ、と声が聞こえ、今自分は相手の掌で目の前を覆われている事に気付く。
 …あたたかい。
「熱はないみたいだが…どうしたんだよ、夢見でも悪かったか?」
 否、と言おうとして声が出ず、少年は首を横に振って意思を示した。
「本当か?お前、動くの平気なんだろうな」
「…大丈夫」
 辛うじて、掠れ声が出た。目覚めたばかりの声だと思ってくれと願ったが、朝でも言葉ははっきりと述べる事を彼は知っている。あからさまに顔をしかめるのを見て、少年は苦い笑みを浮かべた。
「全然大丈夫じゃねーんだろうが。…何があった」
 やや、声が低くなった。「はぐらかすな」という合図でもある、その音程。
 けれど…言う訳にも行くまい。自分でも判らない現象なのだ、どう相手に説明して良いのかなんて、判る訳がない。
「…大丈夫、本当に、大丈夫だから」
 暫し、沈黙が続く。互いの眼を反らさず見合い、引くものかと言い合っている様だった。
 そして引いたのは、彼の方。溜息をついて、嫌そうな面持ちで少年に告げた。
「……ぶっ倒れたらただじゃおかねえからな」
「うん。判った」
 再度の溜息、前髪をかきあげて、苛立ち気味に彼が去って行く。
 いつからだったか、非常に自分の事を気にかけてくれる様になった青年…今ではただ心配をかけているばかりだ。しっかりしようとがんばってはいるものの、近ごろは空回りが多い。
 けれど誰かに頼っている暇は今ないのだ。暇というよりも、誰かに頼ってしまった後の事がとても、とても恐く。
 壊れて立ち上がれなくなるのではないかと。
 ……大丈夫、まだ壊れてはいない。
 自分を覆い隠す「それ」は、まだ壊れてはいない。まだ自分で立ち上がれる、歩ける、前を見ていられる。それだけあれば今は良かった。
 皆が思うよりも自分は弱い。自覚はあった、だからといって、それに甘えたくはなかった。
 だから、殻で覆う。歩けない自分を殻で覆い、今は、ただ歩ける様に。
 それがとても、とても柔らかい殻であったとしても。
 ほんの少し触れられるだけで、壊れてしまう様な殻であったとしても。
 歩けないよりはましだ。
「セルジュ?…なあ、ほんとに大丈夫か?」
 顔をあげれば、部屋のドア近くに二人の姿があった。一人は先程の藤髪の…少し不機嫌そうな青年、そしてもう一人──今自分に声をかけた、緑灰の髪を持つ青年。
 大丈夫だと告げ、慌てて海色の髪の少年…セルジュはベッドから飛び起きた。



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「忘れたくない」のあの話の前の話だと思ってください…
てか、ほんとにこうするのかはあんまり決めてない…かなり突発です

難産でした…ネタ三つ目で漸く。