闇の中に居た。 ゆるりと落ちていく感覚を感じるが、実際はどうなのか判らない。何しろ上も下も、前も後ろも、光の指さぬ闇だったからだ。 ゆるゆると落ちていきながら、同時に何かが巻戻っていくのを身の内に感じる。この落下の感覚は時間を遡っている為なのは知っていたが、どうやら自分自身も巻き戻っていく様で。 軽く不安を感じる。記憶は、思い出せるだろうか。 どんな事が起こるか判らない、全ては『彼女』が決めた事だから、自分は従うしかない。 けれど。 闇の中で、夏の空色の光が、強く瞬く。 また彼女と出会いたい。 話せなかった事を話し合って、今度は島を飛び出して遠くへ行ってもいい、共に居た時間は気付けば終わり、あっという間に離れることになってしまっていたから。今度はもっと、もっと 彼女と、共にいたい。 ちら、と闇の片隅で光を見た気がした。 「…?」 見やれば、微かな光が浮かんでいる。真直ぐに自分の下へと移動して来ている様で、徐々に光がはっきりと見えて来る。蒼い、けれど何処か火を感じさせる球で、それは彼のほんの少し前で動きをとめる。じっと見られているような、気がした。 見覚えがある。彼も見返すと、丸みを帯びた光が赤く歪む。火の揺らめきのような形を成し、元に戻る。──それで、この光がなにものなのか、知る。 嗚呼、…そうか。 この光は自分が「解放」したものの、力だ。全てを解放するつもりであの魔法を放ったつもりだったけれど、どうやらこの光に集まって居た「思い」のみを解放し、力と意思は残ってしまった様だ。 光は、真直ぐに…只管ひたむきに自分を見つめている。純粋で無垢な光、何にも汚されていない、あたらしいこころ。 そうしたのは、自分だった。 苦笑が、口元に滲んだ。解放されたのならばわざわざ「調停者」の下へ帰って来なくても、何処へでも行けたと言うのに。無垢ではあるが、ある程度の意思は持っていることは窺い知れる光は、何をどうして自分の下へ舞い降りたのか。 この光にふたつの選択があるように、自分もふたつの選択があった。光から遠ざかるか、もしくは、光に手を差し伸べるか。既に決められた道筋は終り、ここから歩く道は己の意志によるもののみになる。だからここで光を遠ざけるのも、近付けるのも、自分の意志で。 そう、これは 自分が決めた事だ。 「…おいで」 動かず、じっとそこに佇む光にセルジュは、手を差し伸べた。光は躊躇なくするりと移動し、伸ばした手へと辿り着く。その素直さに更に苦笑を面持ちに浮かべ、両の手で抱く様に抱える。 「君には、僕の傍にいるだけじゃない、何処か遠くへ行く事もできるんだよ、…いいのかい」 僅かに色が赤みを帯び、すぐに消える。何故だか是と答えている様にしか見えなくて、……全く動かない様子も更にそれを肯定させて、ふとセルジュは息を付いた。自分はかなり懐かれてしまった様だ、この光の「意思」に。 それはそれで、いいのだけれど。中途半端に解放させてしまったのは自分だ。無垢のまま放っておけば、様々な思いを取り込んでまた元の様に刃のような光を放つ存在になってしまうかも知れない。それは避けたかった。 だから、この光が独りでも思いの判別がつくようになるまで、もしくは純粋な「力」に還るまでは。 共にいよう。 心の内を察したか、僅かに光が変化する。薄く笑って、彼はそうだと声を上げた。 「いままでの"凍てついた炎"じゃもう、流石に呼べないか。…うん、そうだな。」 暫し考える仕種をし、彼は笑い、光に向かって、言葉を紡ぐ。 「"イグニス"」 光が、揺らめく。 「君の名前は、イグニスだ。古い言葉で"火"という」 決して凍てつかない、赤く暖かな存在。新たな、かたち。 光が深紅に染まり、球を歪ませた。 あちこちに飛び散り、集まり、長く細まっては曲りくねって寄り集まる。様々な動きを見せた後に次第に光はひとつの形を成していく。さらさらと流れる緋色は髪になり、ふたつの深紅の円は目になる。次第に口や鼻、先の長い耳、顔、首、肩となり、足の爪先まで形どると其処に在ったのは、一人の子供の姿だった。 閉じていた瞼が開けられる。深紅の円はそのまま瞳の色となっている、その眼が、ふわりと笑った。 セルジュも笑いかけ、そして言った。 「はじめまして、イグニス。 これから長い時を一緒にいる事になると思うけれど、 どうぞ、よろしく」 |
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