「エルザ、どうした」 クォークに問われて、はっと顔を上げた。夕食の席、任務を終えて帰って来ていた仲間達と夕食をとっていたが、手が止まっていたらしい。皆の視線がエルザに集中していた事に気付かなかった。 「大丈夫ですかエルザさん。何処か調子がわるいのですか?」 「う、ううん。そうじゃないんだ」 マナミアが心配するのに首を振れば、じゃあとジャッカルが入って来る。 「何か館であったかー? 陰口言われたとか」 「ちっ違うって! そんなんじゃない、ただ…」 「ただ?」 問いかけに応えられるものが出せず、言葉が濁った。 「…ごめん。今はどう言えば良いのか…判らないんだ」 秘密だと言われた事だからと言うのもある、だがそれ以上にその事実がエルザを混乱させていた。 王族が、森の民と通じていたなんて。 否、それはおかしい表現かもしれない。どうやら交流しているのは彼ひとりのみらしく、他の森の民の姿は一度としてみかけたことはなかった。 彼とは数年前に館を抜け出して森をさまよっていた時、遭遇した魔物から助けてもらった縁で交流が続いているのだという。 (彼らを助けてくれる森の民がいるのか……) マスターの話以降、森の民の情報は少しずつ追加されていた。聞けば聞くほど、お互いの仲はもう取り返しのつかない事態なのだと言うことが伝わってくる。 そもそも森の民は先住民族である。森の中で森と共に生き、あまり人里には出ない種族らしい。過去は隣人として節度ある交流を交わしていたようだが、過剰な輸出により森の資源が目に見えて減り始めた頃から次第にすれ違いが生じ始め、決定打は山の一角丸ごと木を斬り倒そうとした商人に矢を放った事だと聞いた。それを皮切りに、一時期激しく争ったらしい。 現状は睨み合いに留まっているが、森の民が護る森の範囲は広く、国が扱えるごく一部の森はもうじき木が消え去るだろうという噂が流れている。この静寂が崩れるのも時間の問題だろう。 「……」 小さくため息をつく。此処でも、自然が損なわれようとしている。今は枝から葉を落とし、雪を積もらせている木々は、いつまで其処に立っていられるのか。 いつも何らかの理由で自然が失われ、大地は気付けば水の含まぬ乾ききった不毛の地と変わり果てる。その様を呆然と見つめ、しかし潤った地を求めて放浪するにもできないまま、人々もまた大地と共に乾涸びていくのだ。 不意にくしゃりと頭を撫でられて、また物思いに耽っていた事に気付いた。慌てて顔を上げれば、ジャッカルがにんまりと笑っている。 「そうかそうか。エルザには春がきたか」 「…は?」 思いがけない言葉にエルザは目をしばたたかせた。 「王女いるんだろ、どんな子なんだよ、可愛いのか? それとも愛嬌があるのか?」 「……な…に言ってるんだよ! ジャッカルッ!」 言葉が理解できずしばらく呆けた後、次第に意味が判り前のめりに叫んだ。 不敬罪にもなりかねない発言だ。気にするような人間がいる場所ではないが、本人と面識もあるエルザとしては、その様な話題にしたくない。 「お前けっこー女好きだけど、本命は今までいなさそうだったもんなあ。いやぁ悩め悩め少年!」 「お、女好きってジャッカルじゃないんだから!」 「慌てちゃってあーやしーぃ」 「セイレンッ!」 スイッチが入ったらしい二人の笑顔にエルザは顔をひきつらせた。こうなると長いのだ。 当然ふたりのからかいは止まることなく続く。髪の色は、目の色は、肌の色は、身長は、年齢は、どんな事を話したのか、笑ったら可愛いか、どんな癖があるか、内容は段々マニアックになっていく。終いには指先は何色か、まで来てエルザは黙秘権を施行することになった。 「つまんねーなー」 「知らない。もうなにも言わない。」 「やれやれ、それじゃセイレンは離してくれねーぞ?」 ジャッカルも同じだろ、と言いかけた時、がしりと首根っこを捕まれ引き寄せられた。前屈みにジャッカルが顔を寄せて、声を低くしながら問うてくる。 「じゃあこれに答えたら最後にしてもいいぜ?」 「…なに」 更に近付き、耳元でワンフレーズ。 「クォークの恋愛事情ってどうなってんの?」 「マナミア、ジャッカルがもう飯はいらないようだ。食って良いぞ」 「まあ! よろしいので?」 「だあああ食べますまだ食べまーす!」 早速皿を取り食べ始めようとするマナミアにジャッカルが慌てて止めに入った事で話が自分から逸れ、セイレンもそちらに移ったのを見てエルザはほっと溜め息をついた。残っていた夕食をもそもそと食べきり、席を立つ。 「ごちそうさま。…先に休む」 「おーう。病人はさっさと寝て直せ」 セイレンがひらひらと手を振る横で、クォークが顔を上げた。 「部屋に戻るのか」 「うん。あ、でも、薬湯もらってからだけど」 「じゃあ飲んでけ。その間に平らげる」 それがクォーク自身の食事のことだと気付いて、エルザは眉尻を下げた。相変わらずクォークは心配性だ。 「部屋に行くくらい大丈夫だって…」 「お前はまだ病人だ。何があるか判らんだろう」 「大人しく言う事聞いとけエルザー? 過保護になに言ったってムダムダァ」 楽しそうなセイレンに、溜め息をついた。最早言い返す気力もなくふらふらとカウンターに向かって歩く。 カウンターには用心棒の仲間であり、調理師見習いの青年が作業していた。旅の最中は彼が食事の一切を取り仕切っているのだと聞いて尊敬の念が耐えない。食糧の管理はエルザとクォークで行っているが、毎月セイレンとマナミアのことで二人で頭を抱えているのだ。 彼はエルザを見ると笑みを浮かべて問いかけて来てくれた。 「やあ、薬湯かい?」 「はい、お願いします」 少し待ってくれ、と彼は奥の棚へと向かった。袋を取り出し、湯とポットの用意を淀みなく始める。空いているカウンターの席に座りながら、エルザはその作業を見つめていた。 「うん? 熱心だな」 「お茶の淹れ方を研究してるんです。すごく美味しくない茶葉が残ってて」 「あ、もしかしてあれか。西の方の…」 「そうです。安かったから買ってみたけど、予想以上に味酷くて」 「あれはちょっと一手間必要なんだ。確かな…」 一字一句聞き漏らすまいと真剣に聞いている内に薬湯が出来上がり、カップを受け取り礼を言った。 「熱いからな」 「有難うございます。お茶の方も今度やってみます」 「そうしてみてくれ。じゃあ、何かあったら奥にいるから」 「はい」 湯気を立てる薬湯に息を吹きかけ、少しずつ飲んで行く。と、不意に視界が陰った。疑問に思うより先に、身体に重みがかかって前のめりになる。 「まぁた一人か、お前」 頭上から聞こえて来た声にぎくりと身体を強張らせた。先日絡まれた用心棒の男の声だ。エルザの頭の上から顔を覗かせたらしい。カップの中身を見て、おっ、と声を上げた。 「いい薬飲んでるじゃないか。傭兵嫌いの奴にしちゃあ大奮発だな」 「だからって治療してなかった訳じゃないだろ」 呆れた様な、それでいて不機嫌な声はマスターだ。エルザの様子に気付いて来てくれたらしい。 「でもあいつよく愚痴るじゃないか。奴等は魔法でなんでも解決出来ると思ってやがるって」 「治療代より薬代の方が儲かるからだろ、奴の場合は……。それにエルザ達の雇い先は国だ。無下には出来んだろ」 「へえ、王か。二人の子供とは会ったか? 確かお前と同じくらいだったな」 「えっ、王子と王女に会ったことが?」 顔を上げて問いかけたエルザに男はああ、と頷いた。 「数年前はよく街に来てたからな。最近は情勢悪くて館から出られないみたいだが。 上の兄があいつと同じ年だったか?」 「あいつって言わないでくれる?」 今度はマスターの娘の声だ。振り向いて見れば、その少女の隣に何時の間に傍に来たのかクォークの姿があった。何を考えているのか判らない表情で佇んでいる、いつもは存在を主張する為に靴音を響かせるので判るのだが。 ……彼は時々忍ぶのだ。そうなると、街中ではエルザは彼の後を追えなくなる。 「おや、保護者も来たか」 「誰が保護者だ」 「なんだ、家族じゃないのか?」 「家族だ」 「なら上の奴が下を保護するんだよ。だから保護者だろう?」 「……」 珍しくクォークが黙り込む。男は満足したのか、隣の少女に顔を向けた。 「それで? お前はどうした」 「……上に行く時は呼べってそっちが言ったんじゃない」 少女の言葉に首を傾げていると、僅かにクォークが顔を顰めたのが見えた。 「ああ、行くのか。じゃあお供しますかねぇ」 身体にかかっていた重みが消え、男が立ち上がったのが判る。振り向けば男は少女の後に付いて、途中クォークの肩を叩き、カウンターから遠ざかって行った。 「……階段上がってすぐのテーブルに、陣取ってるんだよ」 マスターが判っていない様子のエルザに説明してくれるが、それでも何の話だと一瞬考え、気付く。ぎしりと身体中の筋肉が極度の緊張で軋んだ。 ……彼等がいるのか。 「随分警戒している様だが、何か問題でも起こしたのか」 クォークの問いに、マスターは肩を竦める。 「街ではぼちぼち。…あとは気になっていることが一つ」 「……」 先程とは違う様子で黙り込んだクォークをエルザは見上げた。気難しい面持ちで思案する彼を見ていると、事態はあまり良くない方向に行っている、ということをまざまざと感じてしまう。 エルザの不安に気付いたのか、クォークは目をしばたたかせてから掌を弟分の頭に乗せた。 「俺も今日は休むか。一緒に上がろう」 「…ごめん」 「……、お前、風呂は?」 唐突に話題を振られ、切り替えが直ぐに出来ない。エルザは暫し間を空けて、応えた。 「館で入ったから入らないつもりだったけど……」 「身体が冷えたままだと眠れないだろ。付き合え」 「ええっ?」 思わず裏返った声での返事に、クォークの片眉が器用に上がった。 「なんだ、不満か?」 「ふ、不満っていうか、だからクォークは何時までひとの事を子供扱いしているんだよ!」 「一緒に入る位は普通だろ? 共同風呂だしな」 「でもクォークいつも手出して来るじゃないか! 髪くらい自分で洗えるよもう!」 「あー、のろのろしてるから見てられなくてな」 「それ理由!?」 「……あー、メンドくせぇな」 暫くの応酬の後溜息をついたクォークは、徐にエルザの脇を掴んだ。ひょいと軽々持ち上げ、驚いて叫び声を上げたエルザを肩に担ぐ。 「な、なにしてるんだよ!」 「何って風呂に行くんだよ」 「だからって何でこうなるんだよ!」 「マスター、風呂借りるぞ」 「無視!?」 「おう、貸し切り使っていいぞ」 「そしてスルー!?」 「悪いな」 「だ、か、ら、さぁーーー!!!」 エルザの叫びは、酒場内の客の注目と笑いを集める事となった。 はあ、と溜息を漏らすと隣に居た王子が首を傾げた。 「どうかされました?」 「あっ…いえ、……何でもありません」 慌ててたたずまいを正す。あれから数週間が過ぎていた。あの晩以降、クォークの過保護振りは一層酷くなった……というよりは警戒する様になったと言った方が正しい。その様子をみて仲間がどうやらエルザの現状を把握したらしい。皆それとなくエルザの傍を離れない様になった。申し訳ないやら有り難いやら複雑な気分だったが、ひとつ明確な問題が。 マナミアはいいが、ジャッカルとセイレンが隙あらばエルザをからかうのだ。 慌てるエルザをみて更に追い打ちをかけてくるので、気力、体力ともに一気に削られぐったりとすることが増えて来た。気力の消耗が最も激しいのは否めない。 それに加え、とエルザは目の前を見た。 あの日以来、森の民である少年はこの時間に現れる様になった。その事にはらはらとすると同時に、言葉を交わしていく内に国民と森の民の間に入っている溝がやはりどうにもできない所まで深くなっている事を実感し、それもまたエルザの心を落ち込ませた。 (彼等もまた必死なんだ) 森の民にとって森は生活の場だ。それを共有しあっていた筈が、いつの間にか国が占有するようになり、森そのものに対して敬意を示さなくなった、というのが彼等の意見だ。森の民の少年は今の状況をどうにかできないかと考えている様で、王子とともに道を探っていた様だが…事態は時を重ねるにつれ、彼等の想いを裏切っていく。 「祖先がこの地に辿り着いた時には既に彼等が居たと言う事は、私達の文献でも証明されています。 彼等は森に対して造詣深く、遥か昔に死に至る病にかかった森の全滅を食い止めた事も」 「凄いですね」 「過去は王家も彼等を敬愛し、森を共有していました。けれど何時の間にこんな事に…」 「その理由は、外から来た貴方の方が判るだろう」 森の少年が静かに言った。 「今、世界中で何が起こっているか」 「……戦争による…荒廃?」 「それもある、加えて各地で異常気象が多くはないか」 「まあ…晴ればかり続いたり、曇っているのに雨が降らなかったり、異様に寒かったりすることが多いけれど…」 「気候は大地に重要な要素だ。それが狂い、土地が荒れる。新芽が霜で凍り、芽を出したとしても雨が降らずに枯れてしまう。平地は井戸も涸れ始めていると聞く」 「そんな……」 其処まで酷い状況になっていたとは。年々この大陸は作物を育てる為の土地が減って来ているのは知っていたが、殆どは戦争によって畑が荒らされたとしか思っていなかった。 「まだ理由はない訳ではないが」 「え、まだ何か?」 エルザの問いに、少年は透き通った青い瞳を上げた。刺す様な彼の視線がエルザに注がれて怯む。 「……それはまた、いつか」 それきり、森の少年はその話題に触れなくなった。 気に障る様な発言だったのだろうかと首を捻りつつも、特に気分を害した様子を見せないので聞く事が出来ずにエルザの中で次第に疑問は消えて行く事になる。 「私は現状を、この国を守るだけでは乗り切れないと感じます。老人達は国の事しか見ていない……けれど、国の外では、明らかに何かがおかしいんです。私はそれが不安でならない…」 表情を曇らせて言う王子の、その華奢な肩に多くのものがのしかかっているのがエルザにも判った。 「だから、外の事を聞きたかったのですね」 「……単純に、憧れも有りはしましたが」 「私達にとって、森の民の事ですら何処か遠くの存在だったわ」 王女が静かに続く。 「けれどこうして接して、私達は関係ない様に見えて、繋がっているのだと知った。 そうなると国の外も気になるものでしょう? けれど私達にはまだ自由はない。だから、話だけでも聞こうって」 「……お二人は、私では見る事の出来ない先を見ていらっしゃるのですね」 「これが、上に立つ者の勤めだと認識しています」 そうであれば良い。エルザは心の内で思った。 けれど知っている、それがどれほど難しい事なのかを。どうか彼等がその心を大人になるまで持ち続けてほしいと願うばかりだ。 「冬の間だけですが、少しでも、お力になれたら光栄です」 そう告げれば二人は寂しそうに顔を曇らせてしまい、え、とたじろいでしまった。 「春になったら、やはり出て行かれるのですね」 「あ、はい。仕事を、探さなければいけませんから」 「ずっと居たらいいのに…」 王女の小さな呟きに、苦笑して返すしかない。 「この国での仕事は、冬までの契約ですので…」 「仕事があったら?」 「……ずっとという訳には行かないでしょうけれど…いえ、その、私の一存では」 「こら、エルザ殿を困らせるな」 嗜められ、王女はつんとそっぽを向く。 「全く…申し訳ありません」 「いえ…」 「親しい相手が出来たと思ったのに、すぐに居なくなる事に拗ねているんだ、流してやると良い」 「……拗ねてなんかいないわ」 「違うのか」 「……」 森の少年に真面目に返されて相槌を打てなかった王女に、思わず声を出して笑ってしまい、慌てて頭を下げた。 「そいやさあ、あれからねーのな」 雪が脹ら脛まで積もった道なき道を進み、ぜいぜいと息を荒げながらセイレンが誰ともなく問う。 それに相槌を打つのは大抵ジャッカルだ。 「あー? 何がよー」 「エルザに毒矢喰らわせた奴等。なんつったっけ?」 「ああ……森の民ね」 「そういえばそうですわね。私達が気付いていないだけかもしれませんが」 「この辺りは国の管轄なんだよ。 境界線は兵が見回ってる」 クォークの応えに、けれどセイレンは更に問う。 「じゃああのアジトは外だったってか?」 「…いや」 「だろー? 立地的には今の方があいつらのテリトリーだろ? あたしらが気付けなくてエルザだけが気付いたってことは、この国の連中は気付かない奴の方が多いってことだ。 そんであたしらは既に一戦交えてて、狙撃される理由は十二分にある。にしては静かじゃねーかなあと」 前進は止めず、しかし歩みは少しばかり鈍った。皆がそれぞれ周囲を警戒し始めた事が背から伝わって来る。 「…こちらの動きを把握出来ていないだけなら良いが」 「だが向うさんだって見張りは立ててない訳はないだろう。 ……確かに、妙に静かだよな」 クォークの独り言に続く様にジャッカルが言ったあと、暫し仲間の息遣いのみが辺りに充満した。恐らくは皆が考えている事は同じだろう。 監視されているのではないか、と。 「私達は森の民の姿を見た事がありません。」 その思考は、マナミアの声によって中断された。 「彼等の心の内を考えようとしても無駄ですわ」 「…そうだけどよう」 「攻撃して来たら返り討ちにする、だけでしょう?」 不満そうに振り向いたセイレンが眼を丸くし、まあ、確かにと肩を竦めた。各々同意しつつ、クォークがまとめることにした。 「アジト捜索は今日で一先ず落ち着く。今日乗り切れば良い、襲撃を警戒していく。 マナミア、ジャッカル、頼むぞ」 「了解しましたわ」 「了解了解ー」 ──その警戒すら無意味といわんばかりの出来事が起こったのは、アジトへ辿り着いた時の事だった。 山あいにぽっかりと空いた洞窟は、いつも通りつい先程まで人が居た様な空気を醸し出している筈だった。いつもならば。 しかし今クォーク達の目の前にはたった一人、女が待ち構えていた。 顔を防寒用の布で覆い、その隙間から見える緑の眼がまっすぐに彼等を見つめている。 マナミアやジャッカルすら気付けなかった、まるで動物の様な気配の女……森の民だ。 そんな彼女を呆然と見つめていた一行のうちセイレンが一足早く我に返り、双剣を構え女に吼えた。 「てめぇ、一人であたしらの前に姿を出せるたぁいい度胸じゃねーか…」 「貴方がたと敵対するつもりはない。」 若い女の声がセイレンに応えた。 「どーいう事だ」 「ここから先は罠が張られている。私は貴方がたを通らせない為に此処に来た」 「信じられると思ってんのか」 「信じてもらうしかない。解毒剤に予備はないのだろう?」 セイレンは言い返そうとしたが、ぐ、と音を喉に詰まらせた。それは暗に森の民が自分達を狙っていると明言している。 「……どうする大将」 ジャッカルが問うて来るが、クォークは苦虫を噛み潰した様に顔を歪め沈黙せざるを得ない。 行け、と女は再度催促する。 「これ以上は向うに気付かれる。森の中で追い付かれれば終わりだ」 「貴方は…貴方はどうなりますの? 貴方は彼らの仲間でしょう」 「私の行動は向うも承知だ。我らは人より愚かではない。 行け。お前達はこんな所で命を落とすべきではない」 「……死ぬ前提で話しやがって……」 気色ばんだセイレンを嗜めながら、クォークは心を定めた。振り返らずに背後に居る仲間に向ける。 「下がるぞ」 「いいのか?」 「命を賭けてまでやるべき任務でもない。 今の今迄が空振りだったんだ、情報は期待してないだろう」 「持って行け」 ひゅ、と風を切って何かが放り投げられ、思わず受け止めてみればそれは折り畳まれた紙の束だった。表面に文字らしき羅列が見えるが、知らぬ文字で読めなかった。 「冬の間はそれで何とかなる」 「……これは何だ」 「王に見せれば判る」 それきり女は口を閉ざした。佇む彼女を見ながらクォークはもう一度同じ言葉を言う。 「下がるぞ」 「後ろから斬られる可能性は?」 「そんなんしてる余裕があるならもう此処に立ってやいねーだろ俺達」 セイレンの食い下がりにジャッカルが笑うと、彼女は舌打ちをひとつ打って躊躇なく踵を返した。ついでジャッカル、マナミアと立ち去る。クォークも身体を振り向かせながら、しかし途中で動きを止めた。 「…お前達は、何がしたいんだ」 森の民は口を開かずクォークを見ている。その様子に少しばかり苛立って、強い口調で続けた。 「俺の家族はお前の仲間に毒矢を貰って死の淵を彷徨った」 エルザ自身は大した事ではないと思っている様だが、実際は瀬戸際だったのだ。あのタイミングで戻らなければ、命はなかっただろう。そこまで毒は進行していた。 「その一方で俺達を助けようとする。 ……何がしたいんだ」 「……少年の事は我らの落ち度だった。本意ではない」 静かな声で、女が応える。 「ただこの森には、森を護る為にお前達を射る事も辞さない者達が居る事も事実だ」 「そんな輩が、あの場に居たって事か」 「少年はお前の『目』なのだろう。あれは、それを見抜いて少年を撹乱しようとした」 「だが逆に気付かれたと?」 エルザは魔法使い並みに気配に聡い。ジャッカルが加入する前での間、敵を察知する能力はエルザの専売特許に近かった程だ。 「…少年はお前の本当の弟なのか」 少しの沈黙の後の言葉が探る様な色合いを含んでいたのに、クォークは顔を顰めて応える。 「血が繋がってなくとも、あいつは俺の家族だ」 「…そうか」 静かに相槌が打たれる。目を閉じ、ゆっくりと開き……クォークに眼差しを向けた。 「その言葉、決して忘れる事のないよう」 クォークが問い返す前に女の姿がゆらりと動いた。暗闇へ染まる様に、色を失い、そして見えなくなる。 そうなるとクォークにはもう彼女の気配は追えなかった。 「──あのさ、クォーク」 夜、宿に戻り、クォークはエルザと共に部屋に戻っていた。今回の任務は酒場では話せず、部屋に戻ってから声を潜めつつ寝物語の様に聞かせている。 森の民のことは、ただ出会ったとしか伝えられなかった。元来丈夫なのが取り柄のエルザがほぼ寝たきり状態になっていることで常よりもストレスを抱えているのは判っている。これ以上心労を与えたくはなかった。 「この仕事が終わって──雪が溶けたら、谷を降りるんだよ…ね」 如何にも言いにくいです、といった口調だ、クォークは片眉を器用に上げた。 「その予定だが…どうした」 「…王女に引き延ばせないのかって……言われて」 思わずため息が漏れそうになるのを呑み込んで堪えた。 「随分気に入られたもんだな?」 「違うよ、……最近は状況が悪いから、外に出られなくなって、辟易してたって」 「……そうだろうな。谷の至る所に盗賊の住処があるんだ。標的にされているのは間違いないだろう」 それにしては多いのだが。そして今回森の民が寄越してきたものは、ただの盗賊の塒の地図ではないことを知らしめた。 読めない文字の書かれた紙に挟まれる様にあった焼き焦げた紙片、辛うじて残る欠片に流れるようなインクの線が見えた。それに、あの紙質。 ──貴族のものだ。 紙束は既に王に渡している。そして既に動きがあったようだが、それはもう自分達には関わりのないことだった。 「仕事はない訳じゃないらしいが。 だがここはきな臭過ぎる。下手したら此方まで火の粉が降り掛かりかねない」 「…そう……だよね」 だがエルザはそう割り切れないだろう。一度懐に入れてしまえば、できなくなる。自分の命をも盾にして相手を護ろうとする。 少し長く接しさせすぎたか、とクォークは思った。 もう通常の生活をするには支障はない、少しずつ任務にも連れて行くべきだろう。体力を使うアジト捜索は終わった、後に来るものはどうなるか。 距離を置かせるなら今なのだろう。これ以上親しくなれば、エルザは本当に身を挺してでも王子達を救いたいと願い始めてしまうだろう。過去に何度かあった光景だ。 今ならまだ、クォークの言葉を受け入れる。 救う為に伸ばそうとする腕を引き寄せて説き伏せれば、この子供は諦める。自分達を、自分を選択する。 そうする様に、クォークはエルザを育ててきた。 くしゃり、と子供の髪をかき回した。伏せていた目をぱちりと開いて、エルザはクォークを見上げる。 「まだ先の話だ、状況を見て、どうするかになるだろう」 「……うん」 曖昧な面持ちだ、判っているのだろう……この国は、もう降下の一途を辿っている事を。 判っていれば良かった。判っていれば、この国に留まる事は出来ないとエルザも承知していると言う事だ。 「…お前もそろそろ任務に組む頃かな」 「えっ、ほんと?」 ぱっと顔色が明るくなる。彼は本当に、自分が足手纏いであるのが嫌らしい。 「少しずつだ、そう焦るな。だが大分良さそうだしな、考えておくか」 「…うんっ」 頭を撫でれば手に擦り寄って来る。甘える仕草は眠くなりかけの時にしか見かけない貴重なものだ。 ふと、あることを思い出してクォークは聞いた。 「なあ、エルザ。お前はどうやって森の民に気付いた?」 「ん?」 「マナミアやジャッカルも気付かなかったと言っていた。 お前はどう感じた?」 クォークの手に頬をすり寄せながら、エルザは視線をさまよわせる。ええと、と少し言葉がまどろみつつも声を出す。 「……鳥の気配がしたんだ」 「鳥?」 「うん…獣、というよりは鳥…あんな洞窟にって不思議に思って見上げたら、鏃の光が見えた」 光も恐らくはエルザでなければ見えなかっただろう。森の民に告げられた様に、エルザはこの傭兵団の「目」だ。常人よりも視力が高い。 「思わずボウガンで撃っちゃったんだ。そうしたら応戦してきて……その時混戦状態だったから、気付かなかったのも仕様がなかったと思う」 「……そうか」 その双眸を、クォークは掌で覆い隠した。 「そろそろ寝ろ。身体を休めて、明日に備えろ」 「うん……おや…す…」 言いながら、すう、と身体の力が抜けていき、数分も経たず意識を手放した。頬にかかった髪を払っても、エルザは眼を醒さない。 人の気配があるだけで眠れなかった時期を見て来ただけに、今は随分と気を許す様になったとクォークは思った。それでも近付くと目が覚めるので周りからは神経質だと言われているが、先程の話を聞けば仕方のない事かもしれないとも思う。 気を張っている時は、敵意を向けない獣の気配すら感じ取る。エルザにとって眠りについている時間は、警戒すべき時間なのだろう、今でも。 「……」 人知れず、溜息が漏れた。 ---- 書けば書く程長くなってしまい、短くする事を諦めました_(:3」∠)_ ■ |