「んー」
 がらがらと音を立てて粗探しをしているのはセイレンだ、手当り次第にものを剣で転がしては、足でかき分ける作業を繰り返している。
「おいセイレン、あんまり散らかすなよ」
「もともと散らかってるからいーだろー」
 木箱の中は流石に手を突っ込んでいる。取り出した物をぽいと背後に放り出してはまた漁る姿に、やれやれと溜息をつきながらクォークもまた作業を再開することにした。
 谷の中腹、そこにぽっかりと空いた洞窟にクォーク達は来ていた。取り逃がした盗賊達のアジトのひとつだという。複数あるらしい彼等のアジトの手掛かりが掴めないか、情報を探しに来ていた。
「おーい、クォーク、セイレン」
 別の部屋を探索していたジャッカルとマナミアも戻って来た。どうだ、とクォークが聞くも彼は首を横に振るだけ。
「急いで出てってる形跡はあるものの、必要なモンは忘れてってねえようだ」
「……此処も空振りか」
「そうみたいですわ」
 ため息が部屋に溢れる。実はこれで二件目だ。
「かーっ。こんだけアジト粗探ししてこれかよ! 人っ子一人居ない、資料なし!」
「喚くなセイレン。これも任務だ、我慢しろ」
「うえーい」
「それにしても随分アジトが多いですわね。この国の方はそんなにずぼらなのでしょうか?」
 首を傾げたマナミアに、クォークは肩を竦めるだけ。
「さあてな。その辺りは何とも言えん」
「平和そうに見えてこの国はどうにもきな臭いなー」
「そうですわね…」
「…」
 ふと、いつもよりもジャッカルの言葉数が少ないことに気付いた。
 今も口を開かず何か物思いに耽っている様だ。
「どうした、ジャッカル」
「…なーんか、早ぇなって」
 全員の視線がジャッカルに集中する。それを受けながら、彼は続けた。
「盗賊の類いなんてものは烏合の衆の事の方が多いだろ。だからこうも組織立った動きをされると違和感覚えちまう」
「まあ、確かに。今回のアジトもつい先日まで使っていた形跡がある。だが手掛かりは殆どないと言って良い。慌てて出た訳じゃない」
 クォークの言葉に頷いて、ジャッカルは首の後ろを摩りながら思案げに口を開く。
「頭が相当切れる人間か…もしくは」
「…国が絡んでいるな」
 ずしり、と重い沈黙が落ちた。暫く誰も声を出さず、身動きもしない。空気が一気に淀んで息苦しくさえ感じた。
「…その辺りの問題はこの国の人間に任せる」
 クォークが唸る様に言う。
「今日はこれまでにする。帰るぞ」
 了解、と仲間がそれぞれに応えた。思い思いに踵を返し始める中、セイレンがぐんと背伸びしながらぼやく。
「んはー…。今日も働き損かよ…」
「ごちゃごちゃ文句言うな。これも必要な仕事だ」
「あーエルザは羨ましいわー。あったけー部屋でぬくぬくしてんだろーなー」
「次からはお前も行くかセイレン。王の館で子供とセットだがな」
 途端、セイレンは苦々しく顔を顰めた。
「…子供は良いんだけどよー…館は勘弁だわー」

 そのセイレンがいやがった王の館で、エルザは豪華なソファに座っていた。
 身の回りは清潔にしていたつもりだが、館に来てとどめと言わんばかりに隅々まで洗われ、一般人用ではあるが傭兵は着る事等なさそうな繊細な布地の衣装を着せられ、更に高級な毛布を羽織って二人の子供と机を囲んでいた。
 彼等の目の前には黒服の老人が極厚の本を広げ、淡々と語っている。
「──そうして辿り着いたのがこの地となります。谷の中へ参るには難所の多い場所でしたが、周囲の緑の豊かさは何処の土地よりも勝っておりました。現在も緑溢れる我が国ですが、当時はこの比ではなかったと言われます。この地に感銘を受け、始祖王は建国を決意したのです。
 それが、我が国の成り立ちとなります」
 それを締めとしてぴたりと朗読を止め、老人は顔を上げるとまずはエルザと眼があった。老人は皺の寄った顔を更にしわくちゃにし、視線を反らす様に横を見た。
 左横、エルザの右隣にはぼんやりした面持ちの王子、そして逆側には船をこいでいる王女の姿があった。
「……」
 青筋を立てた老人が本をばつりと閉じる。盛大な音に二人ははっと目が覚めたらしい、同時に姿勢を正した。
「…どうやらお疲れの様で。今日は異物もありますのでこの辺りにしましょう」
 老人の言葉に意識を取り戻した王子が顔を顰めた。ぎゅっと眉間に皺を寄せ、躊躇なく口を開く。
「先生、何なのでしょう、その言葉は」
 少年に似合わぬ声に、けれど老人は冷たく返す。
「異物は異物です。本来はあるべきではないものです」
「彼は私の客人です。失礼な言い方はやめていただきたい」
「…」
 火花すら散っていそうだ。中心にいる筈の存在を置いて静かなる争いを始めてしまった二人に、エルザはただ身を凍らせて息を潜めた。
 異物とは、確認するまでもなくエルザのことだった。出逢い頭から老人に渋い顔をされていたが、王族を前にここまで言われるとは。
 案の定王子とぶつかり合い、ブリザードの吹き荒れそうな空気の中老人が息を吐いた。
「全く、殿下は何時の間に余計な知識を身に付けられたのか…」
「私の持つ知識に不要なもの等何一つない」
「殿下、貴方は王族なのです。それをお忘れになるな」
「私は確かに王の子だ。しかし同時に人だ」
 睨み合いは未だ続いている。言葉すらなくなり、王女の呆れ混じりの小さな溜息を横で聞きながら、エルザの胃がぎりぎりと言い始めた頃だ。
 ふ、と老人が再度の溜息をつく。
「王子殿下に無礼な発言を致しました事、お詫び申し上げる」
「私ではない。彼だ」
「それは出来かねます。私は殿下に無礼な物言いは申しましても、「これ」には無礼と思いませぬ」
 ぎゅ、と王子の掌が握りしめられるのを見てエルザは咄嗟に声を上げた。
「気にしておりません、殿下」
「っ…」
 ぱっと王子が振り向く。自分の事ではないのに、自分の事の様に感情を昂らせる幼い王子。
「しかし」
「私は傭兵です。本来ならば此処に足を踏み入る事も叶わない身分です。全て王子殿下のご好意に寄るものです」
「…いや、私は」
「殿下に感謝しています。だから気にしません」
 エルザの言葉に、何か言いたそうに、けれどきゅっと王子は口を閉ざす。その姿を見て老人が三度目の溜息をついた。
「それでは、私は失礼致します」
 王子、王女に一礼し、エルザは綺麗に無視し、老人は部屋を去った。扉が閉まった途端に両脇で二人が肩の力を抜く。
「もう、兄上ったら。どうしてそう頭に血が上りやすいのかしら」
 王女の文句に王子が機嫌を損ねてむっと顔を顰めた。
「あの方の言い様は見過ごせないだろう」
「もっと言い方があるのではなくて?」
「先生に遠慮したら鼻で笑われる」
「それもそうね」
 あっさりと頷いて、
「でも、迷惑かけてごめんなさい」
 突然矛先が自分に来て、エルザはすぐさま相槌を打つ事が出来なかった。
「本当に不快な思いをさせてしまい申し訳なく思っています」
 そう言い、頭を下げた王子にエルザは目を白黒させた。慌てて肩に触れかけて、首を振るだけに留まる。
「…い…いいえ! 本当に、気にしないでください殿下!」
 一般の、否、一般以下とも言われる傭兵に頭を下げる王族など前代未聞だ。だが王子は一向に気にしないようだ。
「しかし、私が貴方を此処に招いたのです。
 先生の授業にまでお付き合いさせるつもりはなかったのですが…」
 そう、エルザも想像すらしたことのない場所へ来る事になったのは、一重にこの兄妹が自分と話をしたいと王に話した事から始まる。
 王もまた変わり者で、息子達の話をあっさりと聞き入れクォークに打診したらしい。そしてクォークは一度、病を理由に断りを入れている。のだが。
『エルザ、明日一緒に館に行くぞ』
 新年あけてすぐ、彼はそうエルザに告げた。
 宿に一人にさせるのを渋っていた兄貴分は、王の感触も良かったのもあり一度様子を見てみる事にしたのだと言う。
 そうして赴いてみた一回目は、何と王の付き添い込みだった。王の子供達はエルザにも礼儀正しく誠実な姿勢が好印象だったが、何しろ王の御前である、粗相のない様に気を配るだけで精一杯だった。
 一度目の出会いは散々だったが、王もクォークも安心したらしい、二度目は子供達だけでという話になった。しかしまたしても。
「せめて時間をずらせたら良かったのですが…。
 あの方は選民意識が強いのです。だから会わせるつもりはなかったのに…」
「本当に、王子殿下が気に病まれる事はありません。
 それに授業は楽しかったです」
「…そう…ですか?」
「はい。国の歴史なんて滅多に聞けませんから」
 まだ納得のいかない様子が見てとれたが、エルザは慌てて話題を変えた。これ以上王族に謝罪されるなんてたまったものではない。
「え、と、あの、やっと時間も空いた事ですし」
 しどろもどろに呟いた言葉に、王子はそこで気付いた様だ。表情を明るくして頷く。
「そうですね、先日は話が出来る状態ではありませんでしたし。
 今日はいろいろお聞きしたいと思っていたんです」
「あまり面白い話はできませんが…」
「良いんです、ありのままを聞きたいんです」
 幾分真面目な面持ちで王子が言うのに、王女が同意を示す。
「……」
 つくづく、この兄妹は変わっていた。

 最上級の茶葉の紅茶、量は多くないが上質な味の菓子を共にした話題は、とても華やかなものではなかった。
 先日彼等は世界各地の国の事を聞いて来たが、今日はもっと深く入り込んで来た。その国で行った仕事の内容、街の状況、人々の様子…良い事も悪い事も全て聞き出そうとし、そしてエルザも言える限りの事を丁寧に伝えて行った。彼等は真剣にそれを受け止めていく、先程の授業は何だったのかと思う程に。
「エルザさんはその国の文字を覚えていますか?」
「一応は。今でも翻訳の仕事を受けていますので」
「ねえ、書いてみてもらってもいい?」
 頷けば、王女が用紙を差し出す。エルザが通常使っているものとは触り心地すら違う紙に気後れしながらも、言われた通りに書き出した。
 まずはアルファベット、横に読みがなを加え、いくつかの単語を並べて行く。
「これは国の正式名称、暁の麓と言う意味です。
 暁、という言葉もありますが、ここでは赤い、月、となります。麓はこう。
 他に星、太陽、空、海、山…」
 書かれて行く文字列を、二人は食い入る様に見つめている。時折こういうのはどう書くのだ、あれはどうなるのだ、投げかけられる質問にエルザが答えながら書く、そして紙の上は彼等にとって模様に等しい文字で満たされた頃だ。
 ふと、王子が呟く。
「先生みたいだ」
「え?」
「字、お上手なんですね」
 言われて気付き、エルザは咄嗟に紙を手で覆い隠してしまう。
 そんな己の行動を後悔したが既に遅い、掌に乾いていないインクがじわりと滲んだ気がした。
「…あの」
 エルザの行動に眼をまるくしていた二人がゆるゆると動き出す。
「申し訳、ありません」
「いいえ…何かありましたか」
「……」
 言い倦ねていると王子が慌てて続けて来た。
「すいません、無遠慮でした。無理に仰らなくても大丈夫です」
「………」
 それは寧ろ己の方だ、とエルザは心の中で呟いた。普通なら不敬罪だと鞭を貰っている所だろうに、彼等は逆に気を使ってくれる。何とも言い難い気持ちに駆られた。
 暫しの間考え込む。そして逡巡の後、
「…あの、クォーク…先日一緒だった彼には秘密にしていただきたいのですが」
 そう、彼等に応えた。
「無理はしなくても…」
「殿下なら大丈夫だと思います。
 ただクォークは心配性なので」
「何かあったの?」
 王女に尋ねられ、エルザは苦笑を浮かべた。
「あまりに綺麗に書くものだから、貴族出身だと勘違いされて誘拐されかけたことがあるんです」
 えっと二人が驚いて声を上げた。
「そんな事が?」
「極稀に、傭兵へ転身する貴族がいるみたいです。
 それから癖のある字を書ける様に練習したのですが、元々徹底的に教え込まれたもので…こちらの方がどうしても書きやすくて」
 気を抜くとこうなるんです、と告げると二人が納得したと頷いてくれた。
「クォーク殿に、その字を?」
「いいえ、…貴族の方に」
 何度目の喫驚だろうか。声もなく目を見張る二人に、エルザは続ける。
「以前居た傭兵団を贔屓にしてくれた方が居て。
 各国へ貿易に行く長旅の間に、各国の言葉を教えてもらいました」
「そんな貴族もいるのですね」
「はい、彼女には大変お世話になりました」
 彼女、とその単語に王女が反応した。
「貿易商を営む女性貴族?
 もしや、ベアトリクス・ハインでは?」
 今度はエルザが驚く番だった。ずいと身を乗り出した王女に身を引きながら、エルザは是と頷いた。
「彼女をご存知で?」
「一度だけこの国にも来たの。でも当時は話を殆どしなくて…今思うと本当に残念! いろんな国の話が聞けるチャンスだったのに」
 王女の嘆きに何か引っかかりを感じて、そうか、とエルザは気付いた。
「…と言う事は、こんな風に外の話を聞かれる様になったのは、最近なのですか?」
 エルザの問いに、二人は顔を見合わせた。
 王女が頷いて、王子も頷き返し、そしてエルザを見て王子が言った。
「今日のお礼に、私も明日、私達だけの秘密を教えます」
「…え、」
「楽しみにしていてください」
「………………え?」
 にこりと笑う二人に、それ以上何かを問う事も出来ず、ただ了承するしかなかった。

 帰り際に渡された服は綺麗に洗濯され、整えられていた。長持ちする様にと上等の生地を使っているものの、長年着続けて草臥れている普段着の肌触りの違いに戸惑いながら袖を通し、広間に出る。首都付近ならば貴族の館程度の其処に、任務を終えたクォークが待っていた。
「クォーク、おつかれさま」
「お前もな、エルザ。…着替えたのか」
 本来ならば触れる事すら叶わない繊細な衣装を身に纏ったエルザを見ているクォークが意地悪気に問いかけてくる。むすりと頬を含まらせて、エルザは仕方なくそれに応えた。
「…明日も来る事になった。毎回同じものは着ないけど、着回せる様にするから向こうで管理するって」
「へえ。随分気に入られたな」
「そんなんじゃないよ。…任務、どうだった」
 無理矢理な話題の変更だったがクォークは何も言わず、首を摩りながら応えてくれた。
「今日は無駄足ばかりだったな。
 だが内容を評価してくれたらしい。こちらも明日も仕事だ」
「そっか、良かった…」
「セイレンは寒い中の任務にゴネてたがな」
「セイレンってば…」
 くつくつと笑いながらクォークがエルザの肩に外套をかける。
「明日も早い。さっさと帰るか」
「うん」

 ──そして翌日、王子と王女に打ち明けられた秘密は、想像を遥かに越えた衝撃をエルザに与えた。
 彼等がエルザに明かした秘密は、一人の少年の事だった。
 貴族でもなく、王族でもない。不思議な紋様を描いた衣服を身に纏い、細かい意匠が張り巡らされた矢筒を背負っていた。華美な飾りは一切ない。シンプルに、機能美を持ち、しかし独特のセンスを持っている。
 金の稲穂の様な淡い光を放つ金髪の合間から、象牙色の肌、そして宝石の様な碧の瞳が覗いていた。
「紹介します。彼は森の一族で僕らの恩人であり、友人です」
 あまりの事に、エルザは暫し言葉を忘れていた。





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最初はもっと簡素に書こうと思っていたのですがそうも行かなくなって参りました( ゚∀ ゚)