音を吸い込む雪が舞い落ちる冬は基本的に人も静かになる。冬は動くだけ無駄な季節だ、静かに過ぎ去るのを待つしかない。だが、例外はあった。
 一般住宅街から王の館へ結ぶ道沿いに並ぶマルシェは今日だけ一日中開く。その周りにテーブルや椅子、光源と暖房の火を焚いて人々がテーブルに料理を運び、酒を運び、飲んで食べてと盛り上がっていた。
 ──今日は年末。年越しの日だ。この国は年越しを盛大に祝うらしい。外の騒ぎ同様傭兵達のたむろする酒場でも例外なく(最も、こちらはいつもの事だが)片手に酒を持って大盛り上がりである。
 宴もたけなわの中でエルザは独り、壁際のソファに座りホットミルク(蜂蜜とジンジャー入り)をちびちびと飲んでいた。少し離れた場所に仲間達が他の傭兵達と酒を酌み交わすのを見ながら。
 酒場の中は火により暖められている。にも関わらずエルザは相変わらず厚着に毛布を纏っていた。保護者が許可しなかったので酒もNGだ。ひとり眠れぬまま部屋に篭っているよりはと酒場に来たのだが。
「…はあ」
 溜息が漏れる。仲間の傍にいれば、セイレンが酒を勧めてくるのだ。エルザは最近酒を飲み始めた、おまけに酒の入ったセイレンの勢いにエルザが勝てる筈もない。
 飲まされそうになったエルザに彼女から距離を置け、と保護者から追加のお達しを貰い壁際に来て暫し。
「はあ…」
 流石に虚しい。部屋に戻ろうかと思い始めた時、隣の空きスペースにどかりと腰を下ろす振動が伝わって来た。仲間の誰かかといつの間にか俯かせていた顔を上げて見れば、其処にいたのは仲間ではなく知り合いでもない、全く見知らぬ男。
 ぎくりと身を竦ませると、男がエルザに視線を向けて来た。全身を舐める様な目線に咄嗟に席を立とうとするも、肩を掴まれてソファに逆戻りした。
「なぁんだよ、逃げるこたないだろ」
「は、離してください」
「暇そうだったから隣に来てやったのにその言い草かよぉ」
 寄り掛かられて更に身動きが取れなくなる。というよりは重い。ぐ、とうめき声を上げて重さに耐えていると、男はどんどん近付いて来る。
「少し位付き合ってくれたって良いだろ?」
「酒は…飲むなって言われて、ます」
「ふうん、だからこんな所で独りなのか」
 言葉に詰まって声が出せないエルザを引き寄せて、男が耳元で囁く。
「なあ、部屋に来ないか」
「…っお断りします!」
 ぞっと寒気が走った。手を突いて身を離そうとするも、男の腕は既にエルザを抱き込んでいる。掌が身体にがっちり触れている様だが服を着込んでいるが故に良く判らない。着込んでいて良かった、と現実逃避だがエルザは心底思った。そうしてる合間にじりじりと男は近くなってくるのだが。
「無理はさせないって、それに礼も出すぞ?」
「そういう問題じゃ…っ」
「…お、お前眼の色違うのか。へえ、面白いな」
 男の指先が目尻をなぞる、そのまま顎に伝ってきたのにみっともなく悲鳴をあげかけた、次の事だった。
 ご、と鈍い音が響いた。同時に男がびくりと震えて、俯く。彼の頭に丸い金属が乗っかっているのが見えた。
「何してるの、全く!」
 怒り心頭の声に見上げれば、少女が…少女と言ってもエルザよりも年上だが…目尻を釣り上げて佇んでいた。マスターの一人娘だ。
 彼女の手には男の頭にある金属板、トレイが握られている。どうやら彼女が男を殴ったらしい。
「おまっ…それは凶器だろう!」
 痛みに震えていた男が顔を上げて文句を言うが、少女は鼻で笑った。
「これごときに根を上げるなんてあんたもまだまだ!」
「まだまだってな…」
「それより、その子は今体調崩してうちの預かりになってるの。変な事しないでくれる」
「そんなんだったらカウンターにでも置いとけよ」
「物みたいに言うな! それにカウンターはあんたがいるから呼ばなかったの!」
「…お前年上に向かってだなー…」
 二人の応酬はまだ続く。どうやら気安い間柄らしく、次から次へと言葉が交わされる。まだ男の腕の中に囲われたままのエルザが呆然と二人を見ていると、不意に男が溜息をついた。
「やれやれ、どうやらお仲間も気付いた様だし、退散するか」
 言われて慌てて振り向いて見れば、確かに一人こちらを見ていた。
 …己の家族が。
(うわあ…)
 機嫌の悪そうな顔をこちらに向けていて、エルザは冷や汗をかいた。最近はそうそうないが、彼が暴れるとそれはそれは大惨事になるのだ。少女が介入していなかったら久々に暴れてたかもしれないと思うと回避出来た安堵と、その後の説教の可能性に気付き脂汗が溢れて思考がぐるぐると回り始めた。
 気を取られている間に身体にかかっていた重みが消えて、見れば男は立ち上がっていた。腕を延ばして、エルザの頭をくしゃりと撫でる。
「また、な」
「早く行けっ」
 少女に蹴りを入れられて、男は小走りでカウンターへと退散して行った。その後ろ姿を見送ってから少女がエルザを振り返る。
「ごめんね、大丈夫?」
「…あっ、大丈夫、です。ありがとうございます」
「ほんともー…ごめんね。我が伯父ながら恥ずかしいわ」
「親戚なんですか?」
 てっきり宿に泊まっている客なのだと思っていただけに、彼女の発言には驚いた。彼女は残念といった様子で頷く。
「父さんの兄弟でね。父さん亡くなってからいろいろ世話にはなってるんだけど、あのひと趣味がねー…」
 はあ、と少女が溜息をつく。
「冬はうちの用心棒やってて、ずっと居るから、気をつけてね。拒否してね。無理強いはしないんだけど、ああやっていつまでも構って来るから面倒だけど」
「面倒…」
 割と身の危険を感じていたのだが、それほどでもなかったのだろうか。と思ったのだが、
「そう。でも面倒だからって許したら駄目よ、ほんとに喰われるから」
「………」
 相手は本物だったようだ。
 ごとん、と重い靴音が聞こえて振り向けばクォークが傍までやって来ていた。
「クォーク」
「クォークさん、すいません…」
「いや、俺達もちょっとほったらかしすぎた。悪いな」
 いいえ、と少女は首を振って仕事に戻って行く。入れ替わりにクォークがソファにどかりと座り込んだ。それから何も言って来ないのに、ちらり、とエルザは隣を見た。
 仏頂面の兄貴分がエルザを見下ろして来て、きゅっと身を竦める。機嫌は悪いままだったようだ。
「…ごめん」
「…いや、お前を一人にした俺も悪かった」
「良いんだ。…戻って良いよ?
 セイレン抑えてないと、後が大変だろう?」
 幾ら素面の時に言い聞かせても酒が入れば何もかも判らなくなる彼女だ、今年は何とか冬を越せるといった具合故に、少しばかりセイレンには制限を強いている状況だった。しかし否とクォークは応える。
「お前を放っておけない」
「さっきのは油断してたけど、もう大丈夫だって」
「あれは俺に対する警告だ」
 え、とエルザは眼を瞬かせた。
「お前、仕事の時の様に辺りを探ってみろ」
 視線はあまり動かすなと言われ、話している風を装いながらエルザは言われた通りに辺りに意識を向けた。街中ではやらない、物と人の見方。
 其の中で見知らぬ集団がこちらを伺っていた事に気付く。
「…見られてた?」
「お前がな。…恐らく一人になってからずっとだ」
 ひやり、と背に冷たい物が流れた。
「あの男の行動は、あいつらへの牽制もあっただろうな」
「…僕が狙われてる?」
「判らん。…奴等は貴族に雇われているから昼間は居ない。
 念の為、夜は一人で出歩くな」
 緊張したまま頷く。それを見たクォークが溜息をつき、エルザの肩に腕を回してきた。
「そうビビるな。ああいう類いの輩は今までも居なかった訳じゃないだろう?警戒してれば向こうも迂闊には手を出して来ないさ」
「…うん」
「まったく。お前もさっさとでかくならねえかな」
「…僕に言われたって」
 それはエルザが一番痛感している事だ。むすりと顔を顰めれば、兄は笑って頭をくしゃくしゃに撫で回した。
「調子が戻ったら肉も魚もちゃんと食えよ」
「判ってるって」
「どうだか」
「クォークはいつまで経っても子供扱いだ…」
「ガキだろ、お前は」
 そんなモン飲んで、とエルザが持っていたホットミルクを奪って一口。咽せかけて、寸でで留まったが思い切り顔を顰めている。
「…甘過ぎないか?」
「甘いよ。でも身体に良いんだって」
「…」
 怪訝そうにカップの中身を見つめているクォークの向こうから、ふらふらとした影が近付いてくるのが見えて視線をやった。
「なぁ〜にやってんだお前等〜」
 セイレンだ、まだ年越し前だというのに酔っぱらい特有の千鳥足である。それにはエルザもクォークも呆れ顔になった。
「セイレン、お前はこっちに来るなって言っただろう」
「あぁ〜? この楽しい時に辛気くさぁくしてる兄弟がいるから構いにきてやったってのに冷たいんじゃねー?」
「お前は酒飲んでりゃいつでも楽しいだろうよ」
 言いながらエルザの隣に腰を下ろしたのはジャッカル。彼はまだ素面に近い。
「クォークさんがエルザさんの下へ行ったので、何かあったのかと思いましたのよ」
 空いてる席へ座りながら言ったマナミアも今日は酒を飲んでいる筈だが、彼女に至っては飲んでない様に見えた。
「…なんでそうなるのさ…」
「クォークは過保護だもんなあーーー」
 ひひひ、とジョッキを呷りながらセイレンは笑う。
 其の時、外からごうんと鐘の音が響いた。次いでがらんがらんと先程より軽い鐘の音が幾度も響き渡る。年越しの合図だ。
 わっと外も中も歓声に沸く。
「おー。何とか一年を終えた訳だ。
 また一年、今年はメンバー増えるかねぇ。まっ、よろしくぅ」
「足ひっぱんじゃねえぞぉお前等ー」
「セイレンこそ。二日酔いになりすぎはいけませんわよ。魔法だってタダじゃないのですから」
「酒はあたしの生き甲斐ー」
「お前の身体の水分は酒で出来てるもんなあ?」
「なんか文句あっかー」
「…否定しろよ…」
 いつも通りの騒ぎになり始めた仲間達を見ながら、エルザはクォークを見上げる。彼もまた仲間を見ていたが、ふとエルザの視線に気付いて見下ろして来る。
「──また一年、宜しく」
 彼は暫し眼をしばたたかせ、そして笑った。
「ああ。──こちらこそな」





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年越しの話も毎度書いている気がしますが、表に出したのははじめてじゃなかろうかと