静寂が部屋を満たしていた。風も穏やかで、窓が揺れる音も聞こえず部屋にはエルザひとり、しかも何枚もの毛布を被り、寝台に横たわっていた。 身体の機能が全体的に低下しているから暖める事が大事なのだとは聞いたが、ここまでとはやられるとは。エルザは溜息をつく。否、半分は冗談だとは判っていた。 重い毛布の中で寝返りを打ち、起き上がる。身体の状態は良いとは言えないが、この時期はじっとしているのが苦手だ。喉も乾いたので宿の下にある酒場に飲み物を貰おうと寝台から出た。 念のためいつもよりも重ね着をして、部屋を出る。家屋の中は暖房で何処も暖かい。そんな中でしっかりと厚着をする自分の滑稽さにげんなりしながら、階段を降りた。 傭兵が使える宿というのは大抵一階に酒場がある。傭兵は任務で出払い、昼過ぎだった事もあり人気はほとんどないと言って良い。椅子に座り暇を持て余す任務のない傭兵、もしくは領民を横目に見ながらエルザはカウンターに近づいた。 夜の支度をしている厨房で女性が顔を上げる。 「お、起きたのか」 「おはようございます」 もう昼過ぎだけどな、と笑ってそれでも彼女も返してくれた。男勝りな口調の彼女がこの宿の主だ。宿は家族経営が多いが、彼女の家族は娘一人。数人雇ってはいるものの、実質は宿と酒場をひとりで切り盛りしている故に、様々な意味を込めて女性ながらマスターと呼ばれている。 中で同じく支度をしていた手伝いに一声かけてから、彼女…マスターはエルザを見た。 「事情は聞いてる、飯は食えるか? 代金は貰ってるから心配するな。 薬も飲ませろと言われてるから、良ければ用意するぞ?」 「すいません、お願いします」 言伝までされているのなら食べた方が良いのだろうと判断して頼むと、よしきた、と彼女が調理を開始する。と言っても、調理らしきものはスープを温めるだけだ、出て来たパンは保存が利く様にしっかりと焼かれたパンと言うより固形物のもので、スープに浸して柔らかくして食べるのだと言う。 とろとろに煮込まれた具材が見え隠れするスープにパンをいれて少しずつふやかしながら口にいれる。しみ込んだスープがじわりと広がって美味い。水も良い物が使われているのだろう、泥臭さが全くなかった。 美味しい、と呟いて時間をかけて食べた。 「ごちそうさまです」 「おそまつさまーっとね。んで、こっち」 食べ終えた後に出された薬湯を大人しく飲む、喉から身体の中がぴりぴりとしびれた。生姜が入っているのだろうか。 息を吹きかけながら少しずつ飲んでいると、不意にマスターに見られている事に気付いて、顔を上げた。じっと彼女はエルザを見つめてきて、すこしばかり気後れする。 「えっと、…何か?」 「ああ、ごめんごめん。 …ちゃんと飯食うなあと思って」 「…こういう時はちゃんと食べないと良くならないって、言われてますから」 「あ、いや、そういう意味じゃなくてな」 頭をかきながら、マスターは苦笑いを浮かべる。首を傾げて彼女の意図を探っていると、溜息が聞こえて来た。 「正直、お前さん達が来た時は、本当にお前が戦闘要員なのかって、疑ったんだよ」 それで彼女の言う言葉に気付き、頷いた。 「疑われる事は、よくあります。」 「悪いな、疑って」 「気にしてません。でも、クォークには話さないでください。」 「彼だけ?」 エルザは頷いた。 「僕を拾ってくれたのがクォークなんです。クォークは、僕を護ってくれました。だから余計にそういう話は気にしてしまうんです」 「ああ、そうだったのか。なるほど、道理で過保護だと思ったが」 「よく言われます」 エルザの苦笑にマスターは笑う。腕を延ばしてエルザの頭をくしゃくしゃに撫でて、カウンターに肘をついた。 「そうか、あいつが保護者か。昔から傭兵として?」 「いいえ、始めの頃は、市場の裏方仕事などを。でも全然お金はたまらなくて、泊まる所もなくて、それじゃ駄目だって、先にクォークが」 「…大変だったろう」 言葉を濁しているが、彼女の言いたい事はよく判った。 「僕が理由で悪し様にされる事は多かったみたいです。幾度か、クォークと一緒に居ていいのか悩んだりしましたけど…、クォークが良いんだって言ってくれて。」 「そうか…」 「それからちょっとした騒動でひとつの傭兵団に入れてもらえて、其処で様々な事を学ぶ事が出来て、なんとか今まで生き延びました。 僕がボウガンを扱えるのも、傭兵として暮らして行けるのも、そのお陰です」 「なるほどな。お前…えーと」 「エルザです」 「悪い、エルザは傭兵家業始めてどんくらい?」 「仕事に参加する様になって、三年は経ってます」 「そうか、そんな年から…」 「はい、今はどうにか、ボウガンの腕だけは一番です」 へえ、とマスターは感嘆の声を上げた。 「すごいな」 「いえ…まだまだです。今みたいに、仲間の足を引っ張ってばかりで…」 「いや、ほんとに凄いよ、あいつらと弓矢で渡り合えるのはそういないから」 「あいつら?」 首を傾げて問えば、はっとして彼女は決まりの悪そうな顔をした。辺りを見回して心なし声を抑えて、言う。 「山の方にな、森の民って一族がいるんだ」 「森の民?」 是とマスターは頷く。 「森の中でひっそりと生きてる連中でな、エルザが受けた毒はそいつらがよく使うものだからすぐ判った。 滅多に人里に来ない、というよりは…此処と仲が悪い一族なんだ」 「何かあったんですか?」 「この一帯の森は、豊かだろう」 酒場の壁を通り越して、森を見ているかの様に視線をやりながら彼女は呟く。 「あんだけ残ってるのって、森の民のお陰なんだよ。あいつらは森に対する知識が豊富だ、だからここまで維持出来たもんだ。 …でも最近、実りが少なくてな」 「少なく? どうしてです」 「負担がかかってるんだ。隣国に資源の出荷もしてるから、搾取気味になってる。種がなかったら芽は出ないだろう?」 ぞっとした。まだ緑が残るこの谷も枯れ始めて来ていると言う。しかも戦争ではない理由で、だ。 「だから森の民がピリピリしてる。けど、こちらも生きるのに必死だから、ぶつかっちまって。 …それでも無闇に攻撃して来たりはしないんだ、あいつら。でも威嚇はする。お前さんはそれに気付いて、応戦した。いざ相対してみると手を抜いては対処出来ない相手で、向こうも本気を出しちまったんだろう」 「そう…だったんですね。」 ぎゅう、と胸が締め付けられた。何も知らずに、自分は彼等に刃を向けたのだ。 「僕は、余計なことを」 いや、とマスターは首を振った。 「お前はお前の仲間を護った。それは悪いことか?」 「…判りません」 彼女はしばし瞬いて、ゆるりと微笑んだ。 「悪くない」 「…」 「お前は悪くないよ、エルザ」 彼女の言葉に、エルザは返事を返せなかった。 宿を出た途端に寒さと強い風がエルザを襲った。 話をしている内に吹き荒れ始めたらしい風を目を閉じてやり過ごし、弱まった所で目を開けると其処には秋の深まる谷の風景が広がっていた。この国は山脈が連なる土地で、首都は山に埋もれる様に存在している。まだ緑を保つ森、山から流れる清らかな川を持ち、標高の高い山並みが他国の侵略を妨げていた。小さな国だが、エルザが見たどの国よりも豊かな国と言えた。 けれど、その国にも影が落ち始めている。 「…」 クォークが持って来た任務は遺跡に巣を這った魔物達の一掃だった。それは本来ならば国の兵で賄える仕事だったが、近年は魔物以外に盗賊の被害も多く、盗賊を相手にしている内に手が空かなくなって来たのだと言う。故に外部に頼らざるを得なくなり、クォークら傭兵達が雇われる事になった。 魔物退治だけならば楽な仕事だった、だがいざ遺跡へ入れば、魔物以外にも遺跡に居着いていたものがいた、盗賊だ。 追加金が貰えると仲間は息巻いて盗賊を追い掛けた。盗賊の数はこちらの倍だったが、攻撃魔法を扱える人間がいるのと居ないのとでは大きな差になる。おまけにこちらは二人、しかも片方は癒しの魔法も扱える、戦力差は歴然だった。 だがもう少しの所で頭を抑える事が出来たのだが、そこでエルザが毒に負け、倒れてしまった。 「…」 クォークは報告に依頼主の元へ赴いている、盗賊の事も報告するのだろう。追加任務として話が来るかもしれない、クォークは受けるだろうか。 他の仲間は冬籠もりの準備で買い出しに出ている。冬の間は活動が難しい、故に一冬をひとつの宿で越す事にしていて、今年はこの国に留まる事を決めていた。半年から酷いときには一年かけて冬の期間の資金を貯め、春までの時間をじりじりと宿で待つのが何時もの事だった。 正直な所、今年は資金が足りていない。仲間が一人増えたのだが、女性にしては信じられないほどの大食家なのだ。このままでは春が来るまでに資金が尽きる恐れがある、と仲間に話したばかりなので任務中の盗賊遭遇に皆猛り立った。 しかし盗賊は捕らえられず、しかもエルザの治療にそれなりの金額を医師に渡している筈だ。薬湯による治療もまだ続く、どれだけの出費になるのか、考えたくない。 風によろけながら、エルザは街が見下ろせる丘へ向かった。 宿は王の館と城下街を結ぶ道の中間、交差して伸びる道の突き当たりに建っていた。一本道の下方に一般住宅街、宿を横切り上へ行くと商人や職人の家や店、マルシェと並び、壁と門を越えて貴族街へ着く。そして王の館が最上にあった。 丘は見下ろせば住宅街が、見上げれば館が見えた。ふと街を見下ろしながら息を吐くと、白い煙が浮んでは消えて行く。 …見た目は豊かな国だった。けれどこの国も翳りが見え始めている。緑の減少に、盗賊の暗躍。自然への負担は恐らく盗賊達も一枚噛んでいるのだろう。 いつかはこの国も、他の国と同じ風景を見せる様になるのだろうか。 「…あ」 目の前に、ひらりと白いものが舞い降りた。それはいくつも空から舞い降り、地面や家々の天井に落ちては、音もなく消えて行く。 手袋を外して掌に白いものを受け止めた。それは掌に乗った瞬間じわりと白から透明に滲んで行き、最後には雫となった。 とうとう、雪が降り始めた。 その事実に呆然としていると、不意に背から何かが被さって来た。振り返ると、兄貴分であり、傭兵団の長であるクォークが呆れ顔で居た。手には数枚の外套を抱えている、自分の肩にあるのと同じ物だろう。 「なんて格好で出て来ているんだ」 「あっ、直ぐに戻る、予定だったんだ…」 ばつが悪く顔を俯かせる、その頬に、クォークが手を寄せた。手袋を填めていたのだろう指先は、エルザの頬には熱の塊の様だった。 「まだ体調が戻って来てないんだろう、ほら、身体が冷えきっている」 言いながら今度は身体を引き寄せられて、がしりと抱き込まれた。外套で包められて身動きが取れなくなる。 「ちょ…っ」 「動くな、身体を冷やすなと言われただろう」 「う…ちょっとくらい…」 「毒を侮るな。後少しマナミアの治癒が遅れていたら手遅れだったんだぞ」 「…」 クォークの叱責に、応えが出ず項垂れた。死にかけた事が原因でもあったが、それ以外もあった。 彼は気付いたのだろう、ひとつ間を置いて、溜息を漏らした。そうして項垂れるその頭をくしゃりと撫でて、穏やかな声で言った。 「…無事で良かったよ」 「でも…任務が」 「気にするな、向こうも状況自体は仕方ないと言っていた」 「…依頼は? なかったの?」 「あったが、今回は他にやった」 「クォーク…!」 「僅かだが盗賊の方の報酬も貰えた、問題ない。 今年の冬は越せる」 自分でも判るほどに、身体が強張った。クォークの掌が、背を撫でて宥める。 「大丈夫だ、今年も、越せる」 声に出せず、ただ頷いた。 今年も冬が来る、飢えと寒さの続く冬。凍り付いた人の群れ。飢えを訴える獣のような目をした子供。髪を振り乱して食糧を奪い合う男女。枯れ枝のような腕が伸ばして、喉元に牙を向こうとする老人。 白い風景に散らばる、赤。 「…大丈夫だ」 まるで同じ幻影を見ているのか、その幻影をかき消す様にクォークはエルザに囁いた。 ---- 冬の話を毎度書いている気がします。 ぼちぼち方向性が固まって参りました。しかし書く量も多くなって参りました。あるぇ… ■ |