黒いタシャとメイドエルザ

 ルリ島は季節が豊かな土地だ。色鮮やかに四季が流れ、見るものの目を楽しませる。荒廃により自然の大半が失われている昨今は特に感慨深いものがあるだろう。
 そのルリの、豊かな緑が色を失う物寂しい季節のとある夜。
 明かりの灯ったとあるルリ城の一室で。
「も、も…無理…っ!」
「いいえ…まだです。行きます、よっ!」
「やめ…ぐえええッ」
 召使にコルセットを無理矢理装着され、締め上げられている同士とも言える戦友を目の当たりにして、タシャは踵を返して見なかった事にしようか暫し迷った。

 数分の現実逃避から帰還して、それでもタシャは頭を抱えるしか出来なかった。目の前で何が繰り広げられているのか、正直把握したくない。けれどしなければならない。
「何なのだこれは…」
「まあ、タシャ様」
 顔見知りの召し使いの声だった。主にエルザの世話をしている剛胆な女性なのだが、彼女が手にしている衣装に目眩を覚えて反応しそびれる。
 それは彼女達と同じ作業服、所謂メイド服だ。だがどう見てもサイズが一回り以上大きい。その理由を理解したくないが、尋ねるしかなく、遠回しにタシャは訊いた。
「……これは、どういう事だ。エルザは今日私と同じ衣装という話では?」
「ええ、そうだったのですが…」
 困惑の表情で彼女は手の中の衣装を見る。やはりエルザがこれから纏うものなのだと悟って、悟ってしまった自分を呪いたかった。
 事の発端は、民衆の行事をそのまま夜会に取り入れようと物好きな貴族が言い始めた所からだった。
 民衆の行事とはハロウィンの事だ。とはいえ、仮装してお菓子を食して夜通し踊ろうと言う、今までのものと殆ど代わり映えのないものだ。
 変わっているのは、参加者がくじを引き、引いた紙に書かれた相手の衣装を考えるイベントが追加された事だった。
 エルザとタシャは、二人を引いた貴婦人が手を組んで全く同じ衣装になる筈だった。お互いに基本は白い装備を纏っている、その逆を見てみたいと、首から足先まで漆黒の貴族服を用意される予定だと聞いていたのだが……
 彼女はそっとタシャの傍へ寄り、エルザの状況を見ながら話しかける。
「裏から手を回した御仁がおります」
「……まさか」
「ええ、そのまさかです」
 その応えに、タシャは顔を歪ませるしかない。目の前でエルザがコルセットのきつさでへたばっているのを見て更に歪んだ。
「コルセットなどつける必要はあるのか」
「完璧を目指すのが私どもの仕事です」
「…そんな所を目指してどうする」
「もうひとつ言わせて頂ければ、あれは鎧です」
 目を見張り、思わず召使を見る。
「……物騒な夜会だな」
「今宵は踵の高い靴をお履きになりますから、用心をと」
 単語が耳から耳へと通り抜けて意味を理解するのに暫くかかった。無意識に視線が彼女達の足元へ、すると華奢な足を納めているハイヒールが目に入る。あれを履くのか。
「……アレを履いたら立ち回りどころじゃないだろう」
「ですから、是非タシャ様に参加頂きたかったのです」
 そう。タシャが回れ右をして立ち去れなかったのは、そこが理由だ。
 悲しくも次期伯爵から拝命を賜ってしまっているこの身を天に向かって嘆きたいと本気で思っているタシャの横で召使が動いた。
「エルザ様、落ち着かれましたか? ではこちらの衣装を纏ってくださいまし」
「ね…ねえほんとに、それ着る……ッ」
 よろよろと顔を上げたエルザがタシャを捉えた途端、身体ごと凍り付いたのが判る。タシャもまた口を開けない間に、召使が二人掛かりでエルザの両腕を掴んで引き上げた。
「うわっ、ちょっ!?」
「お静かになさいまし! 行きますよっ!」
 そのままがばりと上から強引に服を被せ、袖と胴を通したらあとは召使の思い通りだ。ちゃっちゃと皺を伸ばし釦を留め形が整って行く。もう文句もいう気力もないか、エルザは項垂れたまま為すが侭にしている。
 が、椅子に座らされ足に手を伸ばされた時は流石に逃げた。
「そそそれだけは勘弁! お願いしますそれだけは!」
「なりません、これも衣装の一つです」
「じゃっじゃあ自分で着るよ! だからッ」
「先程から下着一枚で突っ立っていて何をおっしゃいますか。さあ足を!」
 転げそうな椅子を後ろから召使の一人が支え、前は黒い紐の様なものを持つ召使がじりじりと迫る。伸び縮みするそれは、名称をタイツと言った筈だ。
 足首を掴まれ逃げ場などないエルザは情けない悲鳴を上げる。
「……遊んでいるだろう」
 ぽつり、と隣に戻って来た召使に問えば、彼女はにこりと笑い、
「何を今更申します?」
「……」
 やはり帰ろうかな、とタシャは現実逃避した。

 嵐が通った後のように部屋に静けさが戻った頃、椅子には脱力し切ったエルザの姿があった。頭の天辺から足先まで完璧に召使と同じ衣装だ。召使はお似合いだと言うが、タシャにしてみれば違和感がありすぎて気色が悪いのが本音だった。
 何も言い出せないタシャを、じろりとエルザが睨み上げて来た。
「…笑えば良いだろ」
「……笑うと言うより、無様だな」
「好きでこんなんやってるわけじゃないっ!」
 なんでこうなった、エルザは天を仰いで嘆く。それはこちらの台詞な上に行いたかった行為だ。
「この年で女装するなんて思っても見なかった…」
「貴族は暇人だからな、刺激欲しさにこの様な事も行う」
「…貴族は変態だなあ…」
 お前はその変態に狙われているのだぞ、と言いたい所をタシャは溜息をついて堪えた。ここで回り右されても困るのだ。
「エルザ、そろそろ時間だ、立てるか」
 応えは返らず、けれどのろりとエルザは身体を起こした。急いで作らせたのだろう、彼の足に丁度良いハイヒールで絨毯を踏みつけてどうにか立ったが、ぐらぐらと揺れて覚束ない。
「な…んだこの靴…っ」
「エルザ、私の肩に捕まれ。下手をすると捻挫する、気をつけろ」
「よくこんな靴で仕事できるなあ…」
「それは慣れでございますわね」
 召使が微笑んで言う。
「エルザ様、タシャ様。お気をつけて行ってらっしゃいまし」
「……早く帰りたいな…」
「その予定だろう」
「そうなんだけどさー…」
 一歩を踏み出す、途端にぐらりと揺らいでエルザはタシャに寄り掛かって来た。
「…大丈夫なのか」
「な、慣れなんだろう…っ」
 恐る恐る歩いて行く、部屋を出るのにも時間がかかりそうな気配だ。城の中を、このままのろのろ進まねばならないのか…と次の瞬間だった。
 タシャの中で、何かが突き抜けた。
「ええい、面倒だ!」
「は? なッ!?」
 膝裏を腕に抱え、ぐんと持ち上げた。構える暇もなかったエルザは抱えられる形になって目を白黒させている。
「扉を開けろ、このまま行く」
「畏まりました」
「……ちょっ!」
 召使が開けた扉を潜って廊下に出た辺りで、エルザは気がついた。即座に腕の中で抵抗が始まる。
「タシャ、おい! 下ろせって!」
「黙れ、騒ぐな、落としてしまうだろう!」
「下ろせばいいだろ!? どうしてこうなるっ」
 ぐいぐいと腕を突っぱねられて軸が揺れる。苛立ちで声が荒んだ。
「どれだけ時間をかけて城を出るつもりなのだ貴殿は!」
「だからってこれはない! 絶対ない! 人の事なんだと思ってるんだ!」
「こちらとてしたくてしているのではない!」
「だったら下ろせばいーだろっ!?」
「ええい黙れ、さっさと城を出るぞ!」
「言葉が適当になってますタシャさ…あだっ!」
 悲鳴と鈍い振動が伝わって歩みが鈍る。見やれば、柱に頭部を打ち付け痛みに悶絶しているエルザがいた。…呆れ返ると同時に、少しばかり冷静になった。
 階段をおりた所で進路を変更し、中庭へ入った。警備している騎士に視線をやれば、静かに傍を離れて行く。彼等も事情を察してくれるようになったものだ。
 手頃な塀にエルザを下ろして、柱に打ち付けた部分を確認する。出血はしていないことに安堵して、長い息を吐いた。
「…前途多難だ」
「それはこっちの台詞だ…なんでこんな事に……。しかもよくこんな不安定な靴履けるな…」
「……ある意味それも策の内の様なものだろうな」
 不思議そうに顔を上げるエルザに、溜息が漏れる。いろいろと、何もかも、面倒になった。
「お前の衣装の変更は恐らく大公によるものだろう。」
「大公? 本土から来た今回の夜会の主賓?」
 国の行事としては、翌日に行われる収穫祭が正式な行事だ。土地の領主が直々に仕切る盛大な祭となるのが、ルリには問題がひとつあった。
 後継者であるカナンは、まだ叙爵をしていない。伯爵と名乗ってはいるが正式な叙爵は皇帝によって行われるので、漸く落ち着いたばかりのルリを離れられないカナンは仮という立場だった。
 それでは体裁が悪いだろう、とルリにやってきたのが、大公だ。
 皇帝の名代で視察と行事に参加すると同時に、叙爵もしてしまおうという事らしい。仮には変わりないが、王弟からの叙爵は皇帝の意思によるものと判断されるようだ。
「大公には有名な曰くがある。」
「…新参ものイビりとか?」
「男が男にその様な装いをさせる理由などひとつしかなかろう」
 判っていてはぐらかしたらしい、うわあ、と厭そうにエルザは顔を顰めた。
「…なんで俺が」
「珍しい者に興味を持つ。好みであれば、ついでに手を出す」
「つ、ついでに? 弱味握る為とかじゃなく?」
「本人にはそのつもりはないようだが」
「エェェ…」
 そのつもりがなくとも、そうはいかないのが貴族の世界だ。エルザの立場はまだ微妙だ、できるならば本土に弱味は見せたくない。
 それに、だ。
「だが…大公の趣味は、その、……ろくでもなくてな」
「うげぇ」
 何を想像したのかは聞かないでおく。
「精神、肉体共に相当のダメージを負うと聞く。」
「……勘弁してくれ」
「判っている。だから我々が動いているのだろう」
 前年の騒動で負ったダメージがやっと全快した所なのだ、これ以上腑抜けになってもらっては、何時まで経ってもタシャは本土に戻れない。
 …そう、全快したばかりなのだ。
 抱え上げた時、エルザの身体は見た目よりも軽かった。身体の傷は癒えても、全てが戻った訳ではないのだ。
 長年の傭兵生活で築き上げた身体だ、騎士の勤めをこなせば直に戻るだろうが、心配なのはそれだけではない。…考えてもキリがないほどには、不安要素が多すぎた。
「姫が行事の準備で手が離せない時を狙って夜会を設定したのであれば、夜会の主催もグルだな。向こうも本気で狙っているということにもなる…用心しろよ」
「これでどうやってしろっていうんだよ……」
 語尾が涙声だ、存外にビビっている。そういう反応もまた仕様のない性癖を煽るのだと言うべきか言わざるべきか迷ってやめた。
「見張りは増やしている。後は独りにならない事だが……やはりもう少し歩けた方が良いのだろうな。仕方ない、暫しここで訓練するか」
「今? でも、時間は」
「急に衣装が変更になったのだ。手違いで支度が遅れても仕方あるまい。掴まれ」
 手を差し出せば、暫しの躊躇の後にエルザがその手を掴んだ。ゆっくりと手を引いて、まずは立たせる。
 踵の高い靴を履いている故に少しばかりエルザの背丈が上がっている。ちらりと見れば、薄明かりに思い詰めたエルザの顔が見えた。
 本人としては、逃げたいのだろう。だが逃げては行けないと思い詰めている顔だ。また背負いすぎているな、とタシャは感じた。エルザはあれからというもの抱え込む癖がついている。
 ……否、と心の内で訂正する。それは昔からの癖なのだろう、抱え込みすぎる彼を抑えていたのは、恐らくあの男なのだ。
 彼は知っていたのだろうか、タシャは思う。エルザの背負った重い定めを。呪いにも近い血の宿命を。
「……なんだよ」
 視線に気付いて、エルザは不機嫌そうに問う。僅かに化粧の色が垣間見え、何時の間にか顔も弄られていたのか、と今更気付く。
「……やはり似合わんな」
「当たり前だろうッ!!」
 その時、ぶは、と息を吐いた声が離れた場所から漏れて二人で振り向いた。
 距離を置いていてくれた騎士が……それでも静か故に声は聞こえるのだ……背を向けつつも、肩を震わせている。
「し、失礼しま…っ」
「…あっ! お前ッ」
 知己らしい、声で悟ったエルザの顔がみるみる赤く染まって行く。
「お、思ったより様になっててさっきからおかしくってな…」
「ならこっち見んな! 仕事しろよ!」
「おう、そっちもがんばれよ。喰われんなよ〜?」
「な…っ、誰が!」
「油断したらユーリスからのきつーいお説教が待ってるぜ?」
 ぐっと声を詰まらせ、わなわなと震える肩は戦いているのかと思った次には、ぎ、とタシャを睨みつけ、やるぞと袖を引いて主張する。何か吹っ切れたのか、それとも躍起になっているのか、ともあれやる気がある方が気も紛れるだろう、黙って腕を引いて肩に掴まらせる。
「さっさと行ってさっさと帰る!」
「そうしよう。その方が身の為にもなるし、姫も落ち着かれよう」
「…………カナン、やっぱり…」
「判っていたからこそ私に話を持ち込んで来たのだろう」
「……さっさと行ってさっさと帰ろう」
 明日の行事にエルザも参加する事になっている。それを理由に早々に退散するつもりなのだが、どこまで引き留められるか。長い夜になりそうだな、と胸の内でタシャは呟いた。
 気を取り直してエルザを見れば、彼はタシャに頷いてみせる。
 今日を平穏に終える為に、果敢な一歩を踏み出した。





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元々は「RTされたら黒タシャ×メイドエルザを描く」っていうお題でそれをふとネタ的にハロウィンが合いそうだったので勝手に合わせてみたものでしたが…思いの外ひどいネタだと思いますええ。いつもの事なのですが!
RTしてくださった方ありがとうございました…!