|
かさりと開いた紙に書かれているのは、この大陸を含めた地形。元の地図に、別の色の線がなぞられているそれを、四人がそれぞれ覗き込んで見ていた。 「はー。漸く一通りの地図が出来たんだなー」 安堵の息をついて、リウはしみじみと地図を眺めていた。 その地図には手描きの線の他に、いくつもの記述も書かれていた。フレセリアの森には谷という表記が、砂漠には国の表記が、マルシナ平原の東半分には山が。他にもいくつもあるそれは彼ら星を宿す者にしか判らない、以前の大陸の姿だった。 彼が手をついているテーブルの反対側に乗り上げて、レストマーが同じく地図を見下ろしている。 「こうして見ると、結構地形変わっちまってるな」 「山の半分はなくなっているし、広大な砂漠も現れている。谷もごっそり消えたからな」 椅子に腰を下ろしながら呟くのはロベルト。 「意外に範囲広くて、ロノマクアの島みたいになくなった島とかもあったよなあ」 こことか、とあちこちを指しながらリュキアも混じる。 「知らなかった所、結構あったな。けど大幅な変化があったとこはもうないんじゃないかなー。 これでやっと対策が練られるってもんだ」 協会との戦いから、既に一年以上が経過している。その合間にリウは団の参謀とスクライブの長の仕事をこなしながら地道に各地の情報を集めて地図を作成していたのだ。 一なる王とベルフレイドの起こしたこの大陸と異世界の融合は、一部の地域を徹底的に上書きしていた。地形やそこに住む生態系は勿論、気候すら様変わりする事もあった。 だが、その変化が周囲にある元の大陸と馴染んでいるかと言えば、そうでもないのだ。融合による今後の大陸への影響を危惧したリウや各国の首脳達は、マティアス団に依頼をするという形で協力しつつも、大陸の情報を協会との対立を終えた直後から集めていた。合間アストラシアで起こった紛争により一時中断を強いられていたが、今回の地図完成によって一通り把握出来たと言って良いだろう。 「まずは、ジャナム砂漠周辺ってとこか。現状はどうなっているんだ?」 リュキアの問いに、リウとレストマーが難しい顔をした。髪をかき回しながらリウがリュキアの問いに答える。 「正直、あんま良くない。砂の浸食が止まらなくて、近辺の村に流れる川も水嵩が減ってるって話だから、これからもっと浸食速度が上がって行くんだと思う。」 「川が砂に埋もれて水が流れなくなった地域もあったよな」 レストマーがミスラト川の一部分を指差すと、リウが頷いて続く。 「彼処はもう乾き始めてるらしいよ。そうなると…この一帯から緑が消える可能性もある。生態系への影響も恐い。何より、砂漠がこのままどんどん広がってけば、砂塵が厄介になるんだよなー」 砂が東から西へ向かう強風に巻き上げられ広範囲へ広がり落ちて行く現象が、ある時期になると発生するようになった。砂漠の範囲が広大なだけに、被害も広大で元々砂漠という自然に縁の少なかった大陸の者達は対処に右往左往している。マティアス団が拠点とするロブドゥーア城も例外ではなく、今はまだ小さな被害であるも、この先砂漠が拡大の一途を辿ればどうなるか判らない。 「アスアド殿は、何と言ってるんだ?」 「やっぱ星の印や魔道で地道にやってくしかねーんじゃないかって。アスアドさんの話によると、あの地域、昔から地中に水を溜め込む層があったみたいでさ。今回調べてみたらまだ残ってたみたいなんだ。其処に水を定期的に散布してあとは近場から比較的乾きに強い植物の種バラまいて、種が芽吹くかどうかからやってみようかって話になった。」 「…向こう十年は構えないと行けない話題になってきたな」 ロベルトの独り言に近い呟きに、リウは疲れた様に頷いた。 「山半分消えて、そっちの水の流れが変わって来たのも恐いしなあ。砂漠とチオルイ山は定期的に調べる事になりそうだ。 クラグバーグに協力願うかな。あ、その時はアストラシアにも協力願いたいんだけど、話通しておいてくれねー?」 「仕方ないな。陛下にお伺いは立てておいてやる」 「サンキュー! その内書類作って話しに行くよ」 軽く礼を告げるリウにじろりと睨みながらも、ロベルトは了承の言葉を告げる。 話が一区切りついた所で、そういえば、とリュキアが顔を上げた。 「アスアド、砂漠行ったのか? あの身体で?」 「あー、行った行った。身体が鈍るからって半ば強引にな」 「本当に強引だったよなー。傷も完璧に治ってないし身の危険があるってのに…仕様がないからセレンさんとジェイルに付いてって貰った」 「へえ。見てみたかったな」 格闘一家に囲まれて砂漠を歩くアスアド、という姿を想像したのか、にやりとリュキアが笑う。 「其処までしたら流石にあのアスアドも動き辛かったんじゃなかったのかな」 「でもそうしないと突っ走りそうだったし」 「アスアド殿はじっとしているのが出来ない性分みたいだからな。耐えられなかったんだろう」 ああ、とその様子が浮かんだらしいリウとレストマーが苦笑を浮かべたその時、下から声がした。 覗けば、アストラシア王妹のフレデグンドが手を振っている。ロベルトが立ち上がって彼女を呼んだ。 「フレデグンド様!」 「よう、久し振り! どうしたー?」 敬礼するロベルトに手を挙げながら、その後ろから問いかけて来たレストマーに彼女は軽く頭を下げた。 「ご無沙汰しております、姉様から言伝があって来たのですが、アスアドを知りませんか? また抜け出したみたいなのです」 「あちゃー」 またか、とリウが髪をくしゃくしゃにかきまわしながら呆れた。 アスアドは現在深手を負い病人となっているのだが、此処最近宛てがわれている部屋から脱走するのが日常茶飯事となっている。一時は命の危険もあったが故に初めは城内総出での大騒ぎとなり、それに懲りて暫くは控えていたようだが、体力が戻り始めてからはまた少しずつ部屋からいなくなるようになった。 城の内部には居る様なので近頃はそう騒ぐ事もないのだが、ファラモンからの使者が来る時にも失踪してしまい、彼を仲間の誰かが探す、という風景が定着してしまっている。今日はフレデグンドがその役の様だ。 苦笑いをしながらも、レストマーは彼女に応える。 「こっちでは見てねえ! 訓練所にはいなかったのか?」 「行きましたが、見ていないと」 「地下は? 最近は潜ってる事もあるみたいだけど」 リュキアの言葉に一瞬思考を彷徨わせ、フレデグンドは頷いた。 「行ってみます。また、ご挨拶に参りますので!」 「お供いたしますか? フレデグンド様」 「大丈夫です。後でお前にも話があるから、時間を空けておいて頂戴」 「判りました」 優雅な一礼を見せ、慌ただしく去って行く金髪の女性を見送った後、リウはほっと息をついた。 「フレデグンドさん、元気になったみたいで良かったよ」 その言葉に、皆が頷く。項の辺りを掌で摩りながらレストマーも同意した。 「だな。あの時は、クロデキルドと一緒にこっちが見てられない位落ち込んでたもんなあ。」 「案外二人に気を使わせない様に振る舞ってるのかもな、アスアドさん」 はあ、と息を吐いて、リウはテーブルに身体を預けた。 彼の脳裏に浮かぶのは、アスアドが担ぎ込まれた日の事だった。 王命により首都を離れ、小隊を率いての道中に襲われたのだという。相手は当初協会の残党と見られ、彼らが裏切り者としてフレデグンドを狙う事も少なくなかった為に、今回も彼女が狙いだと思われていたのだ。だが、そうではなかった。 狙われていたのは、先の紛争で目覚しい活躍を遂げ、周囲の後押しもあって見事アストラシア女王との婚約を交わしたアスアドの方だったのだ。 「その犯人が協会の残党でもなく先の紛争相手の北の国でもなく、アストラシア貴族だったなんてな。遠方だっていうけど…やりきれねーよなあ…。 まあクロデキルドさんのあの落ち込みようは、どっちかというとそれが原因じゃない感じがしたけど」 「そうだな、あいつらが掌を返す事は、可能性として上がっていたからな。陛下も判ってはおられただろう」 牙を剥いてくるかと思われたロベルトが、あっさりと同意して話をつなげて来たのに目を丸くしながら、リウが後に続く。 「あー、やっぱそうなんだな。大変だなーアストラシアは」 「別に。あの帝国に比べたら我が国はまだ可愛い方だと思うが」 「………ソーデスネー」 かつて存在した強大な国を思い出し、思わず棒読みで相槌を打つリウにレストマーとリュキアがくつくつと笑った。あの国は王の他、一癖も二癖もある重鎮達がわんさかと居たのだ。腹の内を明かせない駆け引きを延々と披露されていたあの頃を思えば、アストラシアの貴族達は真正面から攻めて来たといっても良いのかもしれない、と思えてしまう。 その国は今はもう、どの大陸にも存在せず、ほとんどの人の記憶から消え去ってしまっているのだが。 ゆるりと首を振って、リウは話を変える事にした。 「…まあ兎に角。まだ他に仲間がいるかもしれないんだろ。」 「ああ。メルヴィス騎士長が先頭で捜索を続けているが、まだ拠点は掴めていない様だ」 「俺達も一刻も早い解決の為に協力したいし、そういうのは多分うちの方が得意分野だろうから、いつでも呼んでくれな」 「ああ、こちらとしてもそのつもりだ。」 「あ、あたしも行くよ。平原の方は任せてくれ!」 ロベルトとリュキアの言葉にリウがレストマーを振り返ると、彼は頷いて了承する。 「じゃ、また次も頼むな」 「了解した。陛下に代わって、アスアド殿の事宜しく頼む」 「おう。早くアスアドをアストラシアに戻してやんねーとな」 だな、とレストマーに相槌を打って、ぐんとリウは身体を伸ばした。 「それも最優先項目として、後は、か。出来るだけ並行で一度は他の地域を調査したいなあ。まずチオルイ山とジャナム砂漠、次くらいに此処もやっとくか」 「フレセリアの森も調べんのか?」 「そりゃねー。此処だって大規模に地形変わってるし、シトロ村も気候変わっちまったじゃん」 まあなあ、とレストマーが相槌を打つのを聞きながら、リウはテーブルに寄りかかり視線を城の向こう側へと向けた。天井が視界を遮っているが、その向こうにはシトロ村がある。 「まあ幸い著しい変化もないし、被害が起こったってのも聞いてないから良いけど。 元々シトロ村を護るってのが目的で立ち上げた団なんだから、森になっちゃって人の通りの多くなった村の身辺警護も強化した方が良いと…思う…」 不意に、リウの語尾が不自然に途切れた。三人が各々彼に視線をやると、彼は何か考え込んでいる様で、こちらに気付く様子がない。 「リウ?」 レストマーが声をかけると、はっと彼は顔を上げた。 「ご免、考え事してた。なに?」 「何考えてたんだよ」 え、とリウが目を瞬かせる。 「フレセリアの森に気になる事があったのか?」 「あ、あー。いや、そういうんじゃなくて…さ」 言い難そうに、口籠りながらリウは軽く言ったが、気になるなら言え、とレストマーが視線で訴えてくるのに肩をすぼめた。他の二人も興味があるのか黙ったまま口を挟んで来ない。 頬をかいて、リウは視線を皆から反らした。背に集まる彼らの注目を感じながら、ゆるりと口を開いた。 「フレセリアの森の融合が、一なる王の仕業だったのか、ベルフレイドの仕業だったのか、ちょっと気になっただけだよ」 「此処の?」 そう、と彼は頷いた。 「ソフィアさんに聞いた事ねーから判らないけど、ベルフレイドは自由に融合を起こす事が出来るってなら、時期も変える事が出来たのかなってさ。 それならフレデグンドさんのディバインエッジで、融合出来たろうって…」 「それから、お前は何を考えたんだ?」 ロベルトの催促に、うん、とリウは呟いて。 「森の融合がもしベルフレイドの仕業だったとしたら。 ……南進を考えてたんじゃないかーって、さ」 その言葉に、レストマーが訝し気に彼の背を見た。 「シトロ村の方に?」 「そ。融合の少し前から、協会の人間がしょっちゅう来る様になってたろ。あの頃からもう政策が始まってたのかもしんねーなって。 谷だった頃は単なる行き来も、軍隊なんてもってのほかって言う道の悪さだったし、よく谷を何度も渡って村に来るよなあっておかしく思ってたんだよ」 「確かに、そうだよな。谷がある頃は北から旅人が来るのも稀だったもんな」 レストマーの言葉にだよな、と頷いてリウは続ける。 「ベルフレイドは方法は容赦がなかったし、一方通行すぎる思考持っていたけれど、目的としては純粋に協会の人間を増やすって考えだったろ。南にはもっといくつも国があるし、大きい都市もある。海渡って別の大陸まで行く位なんだ、狙ってなかった訳じゃないだろうなあと」 だから、と呟いて、彼は面持ちを僅かに下げた。 「もしあの時、俺達が輝ける遺志の書から印の力を受け取れなかったら、もしかしたら、もしかしたら。 今頃…シトロ村はなかったんじゃないかって…さ」 「…リウ」 「ごめん、俺今、変な事言ってる」 「だが、可能性がない訳じゃなかった」 ロベルトの言葉に、うんと彼は頷く。 「シトロ村は国に属していない。アストラシアまでとはいかねーけど、村の半数以上は護り手経験と傭兵経験がある人達だし、村長を始め皆が協会の理念に疑問を持っていた。 だから迎合するなんて可能性はほぼないと思って良いし、そんな奴らの軍隊を村に通さなかったと思う。 ディルクのアニキだって…俺達が村に居るなら、村の為に戦うなら、協会に行ったりしなかっただろうし」 「…」 僅かにレストマーの眼が細められたのを知らず、リウは続ける。 「あの時帝国は機会とばかりにアスアドさんやクロデキルドさん達を応援によこしてくれたけど、印を持ってなかったら俺達、城の存在知らなかっただろうし、正直、戦況をあそこまで保てるか判らない。 …考えると、悲惨な結果しか思いつかないんだ。 だから、だから…あの時遺跡で書をレストマーが見つける事は、必要な事だったんだろうって思う…でも、そうなると…」 思考の泥沼に陥り始めて行っているのか、リウは面持ちを徐々に俯かせて行く。 その頭を後ろに引き寄せる力が働いた。ぐんと引っ張られて首が思い切り反り返り、ぐえ、とカエルを潰してしまったような声が漏れた。 「…あのなあ」 逆さになった世界で見えたのは、逆さの状態で呆れ返っているレストマーだ。彼がどうやらバンダナを引っ張ったらしい。 「そういう場合どうなったかなんて、判る訳ないだろ。俺達はあの遺跡に気付いて、遺跡に入って書を見つけた。判るのはそれだけじゃねーか」 「あのな、レストマー」 「星の印なんかなくたって、護れたかもしれないだろ」 「…俺がさっき話してた事覚えてる?」 「耳から耳に抜けたから殆ど覚えてねえ!」 からりと笑いながらレストマーが言った言葉に、リウとロベルトから溜息が漏れた。リュキアがからからと笑う。 「ま、レストマーの事だしな! やってみなきゃわかんねー、てとこか?」 「そうそう!」 「お前の頭は相変わらずお気楽だな…」 半ば羨ましそうにロベルトが呟くのに、おう、とレストマーは笑う。 「俺のやってることが正しいのか正しくないのか何かなんて、俺じゃ判らねえからな。 ただやりたい事をやるだけだ。だから遺跡に行って書に触れて力を使った。シトロ村を護ろうと思った。俺がやりたいと思ったからだ」 「レストマー…」 「…それをあいつは、力の所為だとか、義務を背負った気になったんじゃないかだとか、」 段々と、声色が低くなっていくのにぴたりと周囲の動きが止まった。 「あ」 「やば…」 「わっけわかんねえこと言いやがって…あの莫迦!」 何かが破裂したかの様に、レストマーが突然声を荒げた。咄嗟に三人がぎゅっと耳を塞ぐ。が、リウはいまだレストマーにバンダナを掴まれた状態だったが為に、腕を振り回すレストマーに身体を引き摺られた。慌てる彼にレストマーは気付かない。 「大莫迦野郎の大嘘つき! 散々うだうだ言った癖に最後位本気で戦えっての! 何が手伝いをしたかっただ自分からいなくなった癖に!」 「いたたた、痛いですレストマーさん! バンダナ引っ張らないで! 首が、首がもげる!」 「こっちの事なんかこれっぽっちも考えないで勝手に行動しやがって…ッ、 あーーー! ほんっと、大莫迦野郎!」 「判った、判ったらレストマー引っぱるな!」 腕を叩かれて、我に返ったらしいレストマーが漸く彼のバンダナを離した。むすりとむくれてそっぽを向くレストマーを見、リュキアとロベルトがそろそろと耳から手を離す。 「…なんか、今日は久し振りに虫の居所が悪いな」 「ああ、うん。あれの所為かな」 「あれ?」 バンダナを直しつつ首を摩りながら応えたリウに、ロベルトが問う。 「ほら、この前シトロ村の風習で…」 「魂が還ってくるという数日間の行事の事か?」 「そ。その迎え日にアニキが夢に出たらしくってさー。訓練というか試合というか…戦ったらしいんだけど、ボロ負けしたらしくて」 「へえー。レストマーが負けたのか」 「うるせえぞリュキア」 楽しそうなリュキアへのそっぽを向いたままの怒声に、ロベルトが呆れた声を上げる。 「なんだ、拗ねているのか」 「拗ねてなんかねえ!」 「いまだにさー、本気で戦ってくれなかった事とか、文句言うんだよなあ。お前どんだけアニキが好きだったんだよーって感じでさ」 「リウ!」 「ああ、それ知ってるぞ。ブラコンってやつだな!」 「……〜〜〜てめぇらッ! これ以上言うならもう用ないんだろ! 部屋に帰るぞ!」 顔を茹蛸の様に真っ赤にさせながら憤るレストマーは、直ぐにも机から飛び降りて走り去りそうな雰囲気だ。それにはリウが慌てた。 「ちょ、待てって! まだジェイルとマリカが来てないだろー! というかそういやすごい遅くないあの二人?」 「ああ!? 知るかあの二人どっかで道草くってん…じゃ…」 憤りの勢いのまま応えていたのが、尻窄みになって行く。おや、と三人が顔を上げて見れば、レストマーは拳を振り上げて怒鳴っていた姿のまま凍り付いていた。 「…レストマーさん」 「…」 「俺さ、お前に二人を呼んで来てくれって頼んだよな?」 「……」 「……忘れてたな?」 「………」 ひょい、と机から飛び降り、颯爽と階段を駆け足で降りて行く。 降り切った所でくるりと振り返り、引き攣り笑いを見せた。 「……ちょ、ちょっと呼んでくる!」 「莫迦が! さっさと行ってこい!」 ロベルトの怒鳴り声に、レストマーは風の様に走り去って行った。姿が見えなくなってから、ロベルトは大袈裟に溜息をつくのに二人が笑った。 「あはは、珍しいなーあいつが忘れるなんて」 「これも村の風習の所為なのかな?」 「ま、そうかなー」 「全く、しっかりしてほしいものだ」 悪態をつくロベルトを宥めながら、リウは苦笑する。 「こればっかはな。時間が経ってあいつが昇華するの待つしかないさ。 とりあえず、それは置いといて」 不意に彼の調子が変わったのに、二人は顔を引き締めた。 「あいつが居ない間に先に報告聞きたい。どうだった?」 「こちらも良くない」 表情を曇らせて、ロベルトはトーンを落としてリウに告げた。 ロベルトとリュキアは、前日までアストラシアへ派遣されていた。その目的は表向きアスアドの件に協力する為に送り込んでおり、それは間違いではないのだがもうひとつ、彼らには目的があった。 「アスアド殿を急襲した奴らと手を組んだらしい。根城は先に言った通りまだ掴んでは居ないが、人員はヴェアルの荒野より北に移動している様だ」 「フォートアーク方面を迂回するか山を越えるのかは判らないけど、城に攻めるって計画が進んでるらしいよ」 地図の上をなぞりながらのリュキアの報告に、リウが顔を顰める。 「アスアドさんを襲った奴らは、やっぱり」 「ああ、協会員と前から繋がっていた様だ。 アスアド殿がこの城に滞在している理由が政務ではないという事は向こうは承知の上だからな。一気に叩くのに好機と考えたのかもしれん」 「アスアドさんとレストマーの命を奪いに、ね」 それは噂として聞く前から、リウが、そして人をよく知る者達が危惧していた事だった。 一なる王を退け、協会の理念が達成されない事を知った協会員のその後の行動は、主に二手に分かれた。 ひとつは、真実を知り協会に絶望し、離れて行ったもの。 もうひとつは、真実を拒絶し、理念の達成を阻止した者達…主にその筆頭に立ったマティアス団長レストマーへ、強い憎悪を向けるものと。 元マティアス団には、行動する時は最低限二人以上で行動する、というのを必須条件として戒厳令が各々の長達から敷かれている。国に属さない者や他大陸から渡って来た者、例外はいくつかあるが、国やある特定の地域に根差している者達にはいまだその令は解かれていない。 特にレストマーには必ず能力の高い誰かが付き添う様にしていた。彼が最も狙われている人物なのだが、まだその事を本人には告げていない。言えば恐らく自ら突進するだろうという首脳部の見解の一致があったからだ。 それで一気に一網打尽出来れば問題はなかった。だが、現状はそうはいかない。大陸の至る所に残党が散らばり息を潜めて、彼らは機会を伺っている。アスアドの話はその一部が顔を出して来たに過ぎないのだ。 レストマーに知られる前に事を最小限に抑えたいとリウは思っているのだが、それを見極められる兆しは、まだ見つからない。 彼の暴走を抑える為にアスアドの件の裏に協会が潜んでいる可能性がある事も、彼自身の命が協会に狙われている事も伝えていない。だが、彼は他人が思っているよりも場の空気や状況を読むのが上手い。自分がレストマーに伝えている事が全てではない事は判っているのではないだろうかと、時々リウは不安に思う。それが少しずつ彼を焦らしていた。 「とはいえ、うちに殴り込みとは…よく決めたもんだ」 「あわよくば相討ちするつもりなのかもな」 「させねーよ」 ぽつりと呟いた、リウのその言葉に含まれた凄みに、二人の視線が彼に向く。 「これ以上もう、協会の所為で何かを失うのはご免だ。」 「リウ…」 「レストマーもアスアドさんも、誰も殺させやしない」 戦の中、二人の失ったものはあまりに大きかった。二人だけではない、この城に居たものの大多数が、何らかの大切なものを失っている。それを皆で乗り越え、未来をつかみ取ったばかりなのだ。 「ああ、そうだな。何も失わせやしない」 「あたし達皆で護る。だよな、リウ!」 二人の、力強い同意が返って来てリウは彼らを見た。彼らは不敵な笑みをリウに向けている。 二人を見、身体の力を抜く様に、リウの肩が落ちる。釣られる様ににやりと笑った。 「そうだな、俺達皆で護るんだ。 そんじゃ、また暫くご協力お願いしますか。」 「おー!」 「任せておけ」 「頼りにしてる。そいでまた後で、マリカとジェイル達交えてその辺の話進めるから」 了解、と二人が言うとほぼ同時に、リウは誰かに呼ばれた。振り返れば、階段を件の二人が上って来ている。 「やーっと来た。遅いぜー」 「遅いって言われても、私達いまレストマーに呼ばれて来たのよ。判る訳ないじゃない」 「ですよねー。まあいろいろと話したい事あるんだ、ちょっと良いか?」 「構わない。此処で良いのか」 「うん、とりあえずは…ってありゃ?」 ふと、マリカとジェイルの後ろから来るのだろうと思っていた影が、いつまでたっても来ない事にリウは首を傾げた。 「レストマーは? 来てねーの?」 「何か用事があるって言って、すっ飛んでったわよ?」 「何だってぇ? あいつ逃げたのか…?」 話全然終わってねーのに、と困っていると、なあとジェイルが問いかけてくる。 「この後何かあるのか?」 「へ? 何もねーけど、なんで?」 困惑した様子で、マリカとジェイルが顔を見合わせる。 「何でもないなら良いんだがな。あいつ、棍を持っていた」 「…え」 「それが妙に気になる」 彼の現在の常備武器は双剣だ。だが時折、護り手の頃から使用していた棍を手にする事がある。その様な時はいつも、何かを独断で行ったり、突き進む事が多かった。 じわりと胸に靄が掛かった直後に、更に食堂に来訪があった。 「リウ殿」 「アスアドさん、フレデグンドさん」 一斉に振り返った為に、二人は一瞬たじろいだものの、気を取り直してフレデグンドが階段の下から声をかけてくる。 「何かあったのですか?」 「…なに、って」 「レストマー殿が、ディアドラ殿を連れてトビラを潜って行きましたが…」 ――刹那、空気が凍り付いた。 「……リュキア! 表門と裏門閉鎖、厳重警戒態勢!」 「了解っ」 凍結から抜け出したリウの声に応え、リュキアはたん、と音を立て跳躍ひとつで階段を下り、風を切る様に食堂を出て行く。 「フレデグンドさん、最悪の事態の場合という条件になるけど、ファラモンに支援を願うかもしれません。事情はロベルトに」 「判りました」 「ロベルト、多分今日トビラの前に居るのはホツバさんだ。行き先聞き出して…予想通りなら、先に行ってくれるか」 「ああ」 「…その後の判断はお前に任せる」 唸り声のように絞り出して告げたリウの言葉を聞いて、ロベルトは拳でリウの肩を叩いた。 「行きましょう、ロベルト」 「御意」 「私も参ります」 降りてくるロベルトを待たず踵を返したフレデグンドの背に、アスアドの声が掛かった。慌ててフレデグンドが振り返り、首を振る。 「なりません、アスアド!」 「無茶はいたしません。事情は判りませんが、レストマー殿が危険な時に閉じ篭っては居られません。この身体でも後方援護は出来ますし、万が一の事を考えるならば魔道兵団を指揮する者が必要でしょう」 ぐ、と声を出しかけ、フレデグンドは押し留まる。一瞬の逡巡の後、彼女が踵を返した。 「…王に判断を委ねます。まずはファラモンへ」 「はい!」 彼らの遣り取りを横に、リウがジェイルへと向く。 「城は任せろ。隊はいくつ送る?」 「二つで。…悪い」 「あいつを必ず連れ戻してこい」 こくりと頷いて、最後にマリカへ向く。 「長距離? 近距離?」 「近距離で。結構な数を相手にするかもしれないから、そのつもりで来てくれ。あとルオ・タウを連れて来てほしい」 「判った! トビラの前でね!」 駆け下りて行くマリカの背を見送り、リウはひとつ、ふたつ、深呼吸をした。 心臓が破裂しそうな程に早鐘を打っている。感情が暴走している様だ、不安と焦燥が彼の苛んで行く。 自分達に何も告げず城を出るという事は、前からなかった訳でもない。だがこんなにも焦るのは、彼に自分達が隠し事をし続けて来たからだ。彼がそれを悟り走り出してしまったのではないかと気が気ではない。 護ると決めた、再確認した、その矢先だ。リウは自分の迂闊さを呪いたい気分だった。 悪態をつきたくなる衝動を落ち着かせていると、ジェイルの掌が背を叩いてきた。 「大丈夫だ。あいつはそんなに柔じゃない。ディアドラを連れているのなら彼女自身が抑止力になる」 「…ああ」 「焦るな。あいつは、大丈夫だ」 教え込むようなジェイルの声。彼の言葉を何度も繰り返しながら、リウは頷いた。 「連れ戻したら、村長とシスカさんと囲んで説教だな」 殴っても良いぞ、俺が許す。 そう続けたジェイルに、思わず振り向いた。彼は戯れのように笑って、再度背を叩いてくる。 くしゃり、とリウが顔を歪めて笑った。 「はは、皆で? それはきつそー」 「いい薬だ」 「ま、あいつにはそれくらいが丁度良いのかもな。 …うん、じゃあ行ってくる」 「必ず帰ってこい」 「…当然!」 彼の行き先がアストラシアでない事を祈りながら、リウもまた階段を駆け下り、走り出した。 ---- 途中で切るべきだったでしょうか…文章妙に詰め込んでしまいました。 資料とか集めないで書いているので内容はあんまり信用しないでください…砂塵というか黄砂の問題ってどういうのだったけーとか思いつつ調べてなかったりとかしてます。 ベルフレイドの軍事行動って主に偽書狙いの為だけだったのか、それとも協会員増やす為にも行っていたのか判らなかったんですが、此処では抵抗する場合は強硬突破もするという設定にしてみました。 シトロ以外も描いてみようかな、と思って登場させたリュキアでしたが、あんまりに可愛く描けず申し訳ない感じになってまいました…。ロベルトは今度正面描きたいな! ディルクの事は最初皆遠慮していたのだけど、当の本人が遠慮なく話して行くので、段々皆も気にしなくなった感じ。ただレストマーは彼に対して大嘘つきの大莫迦野郎ってのが定着して、たまに癇癪を起こす様になったようです…。 ちなみにレストマーの衣装は間違ってません。鎧が目立っていたので、周りの人間が言い包めて脱がしました。けどその内レストマー自身も、大事がない限り装備しなくなっちゃう、という設定にする…予定です。 ■ |