一年くらい前

 シトロ平原は今日も平和だ。穏やかな風、目映い日射し、雨は適度に降る、作物は順調に育つ。魔物が柵を越えて入り込む事もこの時期は少ない、そんな平原の片隅で。
「ち、く、しょおぉぉぉ…ッ」
 ぜいぜいと荒い息を整えながら、歯軋りつつレストマーが呻いた。
 座り込んでいるジェイルに凭れながらじろりと上を睨み上げる彼に、ディルクが笑い声を上げる。
「まあそんな拗ねるな。初めて組み手をしたにしてはよくやってたぞ」
「私達四人を一人で相手にしたディルクに言われても褒められた気分にならないわ…」
 レストマーの隣でへたり込んでいるマリカがぼやく。
「ガキん頃から訓練してるジェイルが居るのに、なんで一発も当たらないんだよっ」
「実践経験の差、って奴だろうな。」
「にしたって、四対一で完敗ってありえなくねー…?」
 草むらに突っ伏しているリウが囁くのに、ジェイルが溜息をついた。
「今の俺達に押し負けるようであれば、数年前の時に重傷でも負ってなければおかしいだろう」
「でもよー、棍はアニキが一番苦手な獲物なんだろ? アニキの十八番は剣の筈だしさーここ暫く棍触ってなかったみたいだし、もしかしたらって思ってたのにさ」
「基礎だけはしっかりと叩き込まれたからな。
 言っとくが、今日俺は基礎の動きしかとってないぞ?」
「…マジですか…」
 呆然とした声のリウに、ディルクが苦笑しながら是と答える。
「ま、訓練を積み重ねるしかないな。お前達ならそう時間もかからないだろう」
「ぜってえいつかお前に剣抜かせてやる…」
「おう、楽しみにしてるぞ」
 念の籠ったレストマーの宣戦布告に、にやりと笑いながらディルクが彼の髪をくしゃくしゃになるまでかき回した。撫でるな、とレストマーが彼の手を撥ね除けるのに肩を竦めて、ディルクは木の根元に置いていた荷物を漁り始める。
「今日は此処までにしておいた方がいいな。昼飯食って、村に戻るか」
「めしぃぃ、シスカさんの昼飯ぃぃぃ」
「…が、まだ動けそうにもないな」
 ぶるぶると震える腕を上げながら喜びつつそこから動かないリウを見下ろしての感想に、そりゃそうだ、とレストマーが文句を言う。
「腹へってうごけねーんだよ!」
「そうなるか…。まあいいさ、もう少し休んでろ。
 飲むなら冷たい水の方が良いだろ、其処の川で汲んでくる」
「あ、私も行く! 顔でも洗わなきゃやってらんない」
 そう言って、水筒を持って歩き始めたディルクの後を、マリカが追い掛けて行った。予想よりもしっかりとしているマリカの足取りを、ぼんやりとした頭でリウが見つめた。
「マリカ、よく歩けんなー…俺一歩も歩けねー…」
「マリカは俺達の中で力の使い方のバランスが一番良い。
 うかうかしていると先を越されるぞ、リウ」
「…俺は元々体力勝負は苦手なんです」
 負け惜しみたっぷりのリウの返答にレストマーが笑う。
「リウ、結構武器の扱い巧いのになあ。体力が追い付かねーのは問題だよな」
「うるせーやい。体力はこのまま訓練したらもう少し付くだろうってアニキからのお墨付きです!」
「もう少し、という所が正直だな、ディルクは」
「うるせー!」
 からかい始めた二人に力ない声で反発していたが、ふとその言葉をもらった時の事を思い出し、リウはずりずりと這いずりながら二人へと寄って行った。
「そういやさ、前に俺、まだ案内してないからってアニキに見回りついでに平原の外れまで連れてってもらったんだけど」
「うん?」
 起き上がって胡座を組んだレストマーの足下で二人を見上げながらリウが続ける。
「その時にシスカさんから貰った弁当の握り飯がさ、すっげー酸っぱかったんだ。
 なんだこりゃーって俺はそれ以上食べられなかったんだけど、アニキはシスカさんが作ったんだぞ、って言いながらばくばく食ってさー。」
 その時の様子を思い出し、リウは面持ちを歪ませた。あの酸っぱさが口の中に戻ってくるような気がしたと同時に、彼の様子を思い出して笑いそうになるのを堪えたのだ。
「でも結局後でマリカが作ったものだって判って。やっぱりって思ったんだけど。
 何だろ、アニキ、シスカさんの弁当だからって無理して食ったんかねー、あれ」
 結局堪えきれず、くつくつと笑いながら言い終えるも、降ってくるだろうと思った同意が幾ら待っても舞い降りず、リウは顔を上げる。
 見えた二人はとても複雑な表情を浮かべていて、おや、とリウは首を傾げた。
「俺、なんか変な事言った?」
「…お前に言ってなかったっけ?」
「…何を?」
 頭を摩りながら問いかけてくるレストマーに、リウは逆に問い返した。レストマーは答える。
「ディルクが味音痴だって事」
「…………………………………………はい?」
 とリウが返す間に、
「それは少し違うだろう」
「そうか? おんなじようなもんじゃね?」
 というジェイルとレストマーの会話が行われていた。
 ジェイルがリウを見てつまり、と続ける。
「ディルクには、基本的に「不味い」というものがないんだ」
「…どゆこと?」
「あいつさ、昔親父さんと、親父さんの仲間と南の国を仕事で回っててさ」
 ジェイルの話を今度はレストマーが受け継いで話しだす。
「あいつの他にも子供が何人かいて、そいつら子供組と大人組が何らかの事情で真っ二つになって逸れた事があったんだと。
 その頃ディルクはまだ十にもなってなくて、周りも似たよーなもんで。荷物とか全部親の方で、自分達は無一文で周りは村もない。
 そんな状態が…えっと、一ヶ月だったか続いて。
 根性で生き抜いた、っていう経験があるんだとよ」
「…つまり、そこで一番の問題になる食料事情を…」
「まあ、周囲にあるもので凌いだ、という事だ。」
 少しの間ではあるが、一人旅をしていた経験のあるリウは顔を顰めて呻いた。空腹によるひもじさというのは、並大抵のものではない。彼は森の知識が豊富だったため、食べられる植物を探し当てては空腹を誤魔化せていたが、話を聞く限り、幼い頃のディルクとその仲間達にはそのような知識はなかっただろう。
「土地があんまり良い場所じゃなかったらしくって、飢えた動物が襲って来たりしたらしいんだけど、そっちの方はいろいろ知ってて武術は皆学んでたから何とか撃退して、だけど動くと腹が減って。
 動物狩って食べたりもしたけど、そう毎回上手く行く訳でもないから、本当に耐えられなくなったら何でも食ったって言ってたなー。
 草花とか木の皮とか虫とか魚は腸も骨も砕いて食って、終いには粘土状の土も食ったってたっけ。流石にそれは腹壊したらしーけど」
「うわあ…」
 存外にデンジャラスな幼少時代だったらしい兄貴分を思ってリウは涙する。
「それから、ディルクとその幼馴染達は、食の味にはあんまり拘らなくなったらしい。不味い分類に入るのは今の所毒だけだと言っていた」
「あー。そういう事だったのね…。
 でも、俺ちょっと前までアニキの飯毎日食ってたんだぜ? 美味かったんだけど、それはどいう事?」
「一般的な味覚の範囲を知っているだけだ。ディルクにとっては、マリカの味付けも「変わった味」でしかない」
「…さいですか」
 謎が判って良かったのか、聞かない方が良かったのか、若干微妙な気分で一応理解しました、とリウが二人に言う。
「ま、あいつの味覚のお陰で、こっちは結構助かってるんだけどな。今は大分まだマシだけど、昔のマリカの料理かなりひっどかったんだぞ。」
「あれは舌の機能を壊す目的があるとしか思えなかったな」
「俺は今も思うんですけど…ほんとにアニキの舌大丈夫なんだろうか。シスカさんの飯の美味さ判ってねーんじゃない? もったいないなー」
「それがシス姉の料理人魂を燃やしてよ、いつかディルクにすごくうめぇ! って言わせてやる、って意気込んで…」
「今に至る、だな」
「…それをどうしてマリカは引継げなかったかなー」
 リウの言葉に、うんうんと二人が頷いてくる。
「あいつ、下ごしらえとかは良いんだよ。よくシス姉の手伝いとかしてるしさ」
「味付けの段階でおかしくなるな」
「としか思えねー。シス姉好き勝手にやらせてるけど、一度分量の仕方とか教えてやった方がいいって。
 じゃないといつか料理で人殺しちまうぞ。」
「否定出来なくて恐いんですけど…!」
「そうなると第一の犠牲者は俺達の誰か、というのが有力だな」
「そ、そんなー!」
 本気半分、冗談半分で話を続ける三人が、
「…その件の人物が今俺の横で仁王立ちになっているんだが」
 ディルクの言葉で氷漬けになった。
 ぎしぎしと三人が顔を上げて見ると、いつの間にやら戻って来ていた呆れ顔のディルクと。
 その隣に、腕を組んで薄笑いを浮かべたマリカの姿があった。
「…まあそうね。其れ位は自分でも自覚してるわよ。」
 ふ、と表情を緩ませて、しかし背にブリザードを纏わせてマリカが言う。
「どうして自分でもこんな味になるんだろって思わないでもないわ。
 一応お姉ちゃんと一緒にやってるのよ? ちゃんと判らない所も聞いてるのよ?」
 ゆるりと彼女が動いて、まるで彼女に握ってくださいと言わんばかりに足下に転がっていた棍を持ち上げる。
 どうしてこうなっちゃうんだろうね、とマリカが切なそうに呟く。
「ディルクも初めて食べてもらった料理で卒倒させちゃったし」
「!?」
「え!?」
「し、知らねえぞそんなの!」
「そりゃそうだ。中毒になってしまったからな、それどころじゃないだろ」
 けろりと告げるディルクの発言に三人が青ざめる。リウがぶるぶると頭を振って兄貴分に訴えた。
「いや、それ、そんな軽く言う事じゃ…ッ」
「マリカの味付け自体が原因じゃないぞ? まあ、原因は判ってないんだが」
「いやいや! マリカの料理を食べたからなんでしょ!?」
「そう。だから私その時本当に反省したの」
 遮る様に、マリカが言う。
「料理の事沢山勉強してるし、食材も調理器具も、扱い方をちゃんと教わってる」
 スローモーションの様な動きで棍を構える。その型に、ディルクが苦笑し、三人が蒼白を通り越して真っ白になった。
「でもまだまだなのは自覚してる。…けどね!」
 だん、と足を踏み出し、
「あんた達のその言い方は腹立つのよ!」
 ぐぉん、と風を斬らせて棍を振るう。その棒先を避けて三人は散り散りになった。
「こらぁ! 避けるな!」
「いや避ける、それは避ける! その型お前の一番得意な奴だろ!」
「そうよっ。 一発位殴られなさい!」
「いやいやいや、それ一発じゃないでしょ! 型を連続させる為のいっちゃん最初の構えじゃんッ」
「じゃあ何発か殴られろ!」
「…逃げた方が早いぞ、二人とも」
 ジェイルの言葉に三人は各々目配せし、次の刹那三人同時に踵を返して草原を走り出した。
 負けじとマリカも走り出す。一目散に追い掛け始めたのは……持続力のないリウだ。
「わーーーっ、やっぱ俺かーーーーーっ」
「お前の犠牲は無駄にしない」
「成仏しろよー!」
「ひでぇえええええええ」
「安心しなさい、あんた達も後で追い掛けてあげる!」
 ばたばたと広い草原を掛けて行く四人を見送って、
「お前らー。準備してるからちゃんと戻ってこいよー」
 ディルクはそう声をかけた。

 その十数分後。
 疲労困憊の様子のジェイルと、それに加えて痣やらなにやらを増やしたリウと、レストマー。
 そして疲労は見えるもののいくらか清々しい表情のマリカが揃って戻って来たという。




----
若干兄貴分が埋もれてしまってんですが(立ち位置的に)、ちょっと四人が盛り上がったとこに居るんだとおもってくだせぇ…(何という適当)
レストマー達が14くらい…っていう設定だったような…大人げないシトロメンツ。
マリカの料理に関しては、レストマーは莫迦正直に感想を言い、ジェイルが揶揄って、リウが悪ノリする、というポジションです。レストマーはただ本音を言ってる。でも正直すぎるので口が悪い。
兄貴分の話についてはうちは昔っから周囲公認のディルシスだった、という設定にしちゃっていたので…なんかいろいろこじつけた結果です。
ディルクはいろいろ捏造しすぎです。判ってる! いつか親父さんの話とか幼馴染の話もちょこっと書きたい!(そこまで捏造中)