「…それで、ですね。シーア」
「ん?」
「テッドの現在の住処、…教えてもらいました?」
「………………………あっ」











 秋空が広がりそれなりに暖かい麗らかな午後。
 帝都の中心に聳え立つ金の女神像の噴水を前に、長椅子に座りぼんやりとする二人が居た。遅くなってしまった昼食をとりながら、心此処に居らずといった風で広場を通り過ぎる人波を見つめている。
 テッドとの再会から数日、冬を越すための宿との交渉も終わり、春までの資金を蓄える為馴染みの斡旋所で仕事を請け負い一仕事し、一段落ついた所で今の内にテッドの親友である人物と顔合わせでもしておこうかと思ったのだが。その時二人は、彼の住処を教えてもらっていないという事に気づいて、途方に暮れた。
 仮にも大都市、そうそう一人の少年の居場所を知っている人には出会える筈もなく、一人一人に声をかけて探すなどしたらどれほど時間がかかるか判らない。本人を探すにも知人等殆ど居ないこの国では手間がかかるのは必至だろう。グレミオが知っているかもしれないが…話を聞いてみれば彼は赤月では特に有名なマクドール家で働いているのだという。戸を叩いて彼が出てくるならば良いが、そうでなければ門前払いは必至だろうし、赴くだけでも迷惑の可能性も高く、面倒はかけられないと自然と足は重くなった。
 ついでにその事を宿屋の女将、マリーから聞いたのだが…もしもと思い彼女にもテッドの居所を知らないかと聞いてみた所、苦笑で「ごめんなさいね」と言われ、結局どうする事も出来ないまま現在に至る。
 シーアはふたつ目の昼食である饅頭を袋から取り出して食む。グレミオがテッドの親友を"坊ちゃん"と呼んだのを思い出す。ならば彼の友人は有名な帝国将軍の一人、テオ・マクドールの嫡子なのだろう…どういう経緯かは知らないが、よく友人になれたものだと思った。昔軍人や貴族等上の階級の人間を毛嫌いしていたのを覚えているものだから、その思いは一入感じた。
 だからこそ、会ってみたかったのだが。
 はあ、と溜息が漏れたのに、隣で静かにサンドイッチを食べていたポーラが眉尻を下げる。
「困りましたね、彼が来るのを待つしか、ないのでしょうか」
「…あとは玉砕覚悟でグレミオさんに会いに行くか、かな。住所録なんてものは他人が簡単に見れるものじゃないし。
 最終手段は手当り次第に聞いて回る事だけど…あんまり待たせると、怒らせそうだ…」
 昔の彼よりも、なんとなく今の彼の方が恐い様に思えてしまって、何度目かのため息をついた後、不意に目の前に陰が伸びて、シーアは顔を上げた。
 利発そうな少年が立っている。まだ少年と言える年頃の背丈の少年だった。黒髪を緑のバンダナで覆い、赤月帝国の民族衣装を身に纏っている。微かに見覚えのある姿にシーアが首を傾げていると、彼が微笑みながら口を開いた。
「こんにちは、はじめまして。突然にすいません」
「あ、はじめまして。…宿で一度、見掛けた気がします」
 しっかり見られてましたねと苦笑しながら、彼は是と頷く。良い生地の衣と丁寧な言葉遣いが、その辺りの一般人の少年でないことを伺わせた。
「この時期になるとやってくる旅人の方々の話を聞きたくて、時々マリーさんの所に手伝いついでに行ってるんです。
 宿で見た方だなと思って、何か困っていそうだったからつい。
 もし僕にお手伝いできそうな事があればと、思ったんですけど」
 シーアとポーラが顔を見合わせる。ポーラが頷いたのに、聞くだけでもとシーアが彼に尋ねた。
「実は、知り合いが帝都に住んでいて。久しぶりに再会したのは良いのですが、住所を聞くのを忘れてしまい…。」
 一瞬眼を見開かせて少年が驚いた。不思議そうに見上げていると、僅かに逡巡の後彼には口を開く。
「そう、なんですか…僕が知っていれば良いんですけれど。…名前は?」
「テッドという十五、六の少年です。」
 容姿を説明しようとした途端、ああ、と少年は頷いた。
「知っています…うん、よく知っています。栗色の髪と眼の色をした、僕と同じ位の背の少年でしょう?」
 にっこりと笑って、少年が言った。…何となくその笑みに違和感を感じる気がするのは何故だろうか。
「…ええ、そうです、けれど…」
「…すいません、変に笑ってます?
 その、僕も彼とは知り合い、というか悪友で…まさか貴方みたいな優しそうな方と知り合いだなんて、思えなくて」
 今度はシーア達が驚いて、まじまじと少年を見つめた。黒曜石の瞳を細めて笑う少年が彼の友人なのだという。
「本当に…テッドは」
「はい?」
「あ、…いいえ」
 ゆるりと首を振って、シーアはポーラを見た。彼女は頷いて、少年へ告げる。
「急ですいませんが、もし知っていらっしゃるなら彼の家を教えて頂けませんか?」
 ポーラの問いに、彼は頷いた。
「実は今行って来たばかりで。また戻る予定だったので…一緒にどうです?」
「宜しいのですか?」
「是非」
「では、お言葉に甘えまして。
 私はポーラと申します。彼はシーア」
 はたと動きを止めて、少年は苦笑いを浮かべた、彼も失念していたのだろう。はじめまして、と呟いてから。
「僕は、レイと言います」

 緩やかな坂道を上って、路地を進む。住宅が密集する区域を抜けた先にある一軒家にテッドは住んでいるのだという。
「人混みの中に居るのに慣れていないとか言って、駄々捏ねたらしいですよ」
「彼らしい。でも、昔はもっと酷かったから、今はまだ良いのかもしれません」
「そうなんですか?」
「僕の知る限りでは」
 へえ、とレイが驚く。それはシーア達も同じなのだが、それを話し始めると説明が出来ない所も出てくるので慎む。代わりに苦笑すれば、レイは少年らしい笑みでくすりと笑った。問いかければ、すいませんと彼が謝った。
「僕の知らないテッドを知っている人と会えるなんて思っていなかったから、楽しくて。
 …テッドは、争いに巻き込まれた村に居たんです。マクドール将軍が鎮圧しに赴いて、其処で他の孤児達と共にグレッグミンスターに連れて来られたそうです。」
「争い…ですか」
「…はい。最近赤月は、小競り合いがあちこちで起こっています。もし他の街や村へ行く際は気をつけてくださいね」
 レイに是と答えながら、シーアは僅かに視線を落とした。
 テッドは右手に生と死の紋章、ソウルイーターを宿している。その紋章は彼の近しい者や、意識して向けた相手の魂をかすめとる力があった。そして何より、真の紋章には、宿主を戦場へと誘おうとする意思があるのだと、彼が苦々しく言っていたのを思い出した。
 そういえば。シーアは思う。彼の紋章の事については、いまだに詳しくは聞いていない。過去、紋章の事に関しては口を開くのを拒んでいた記憶から、無意識に聞くのを避けていた気がする。
 今もソウルイーターを右の甲に焼き付けている、けれど穏やかに笑う彼。昔ならばとっくに此処から去っているだろうに、そうしないのは。
(テッドはソウルイーターを制御する事が、出来たという事なのだろうか)
 彼ならば出来ると告げた、昔の仲間の言葉が蘇ってくる。
「ずっと旅をして来たって聞いています。でも、何処まで本当なのだか…
 ちょっと僕より世界を知っているからって、すごい横暴吐くんですよ。
 同い年の癖に僕より年上だとか、三百年は生きてるんだぞとか」
 ぴしり、と身体が硬直した。
「さ、三百年?」
「そう! あ、もしかして同じ事言われました?
 冗談にしても極端すぎだと思いませんかっ」
「あ、ああ、うん…」
 そうだね…とから笑いしながら、シーアはこっそりと隣を見た。ポーラもまたこちらを伺って、冷汗を流していた。
 彼自身にも心臓に悪い話だろうに、よくしたものだ。
「…そうやって」
 不意に、レイの声色が落ちる。
「はぐらかされているような、気がするんです。時々」
 相槌は打たず、二人は沈黙した。
 暫くの間の後、レイが重そうに口を開く。
「言いたくない事なのかなって思ってたら、本当に時折何かいいたそうにこちらを見るし。焦れったく思う時もあるけれど、でも、無理に聞き出して…」
 言い淀み、レイの足が止まる。彼の隣で同じく歩みを止めて、シーアは彼を見つめた。
 ぽつりとレイが、呟く。
「あいつが、此処から出て行ってしまったらって思うと…」
 言葉を封じ込める様に唇を固く閉ざす。拳をつくって、何かに耐える様子でレイは眉を潜めた。
 その横でシーアは、彼に申し訳なく思いながらも微笑んでしまう。
 テッドは元来人が好きな人間だ、そして人に好かれやすい人間でもある。けれどシーアと共に居た時期は、無理に人を遠ざけようとしていた。レイの様に好意を向けるものも多かったが、頑として拒んでいた。
 その彼の変化を、目の当たりにした様な気がした。彼が親友と呼ぶ者をつくり、そして己の本性を曝け出そうとしているのだ。
 …それは昔には考えられなかった事だ。
 肩に手を置けば、はっとしてレイが顔を上げる。
「すいません! つい変な事を…」
 ゆるりと首を横に振ってシーアが微笑むと、彼が申し訳なさそうに見返してくる。シーアは、落ち着かせるようにレイに言った。
「大丈夫」
 眼を瞬かせて、黒曜色の瞳がシーアを見つめる。
「彼は案外、恐がりだから。…向こうもそう感じているのかもしれないね」
「…、…」
 シーアの言葉に口を開きかけて、彼は戸惑う。そして小さく頷いた後、深呼吸をひとつした。
 すいません、と言いながら顔を上げた彼は、先ほどの雰囲気を取り戻していた。
「急かしちゃ、いけないですよね。
 ……もう少し待ってみます」
「…うん。」
 そう応えながら、シーアは笑みが消えない。不思議そうに見られて、彼は苦笑混じりに。
「テッドは良い友達に会えたんだなって」
「…それを言うなら、僕もなんですけどね」
 照れくさそうに破顔一笑して、レイが言った。バンダナの上から頭を撫でて、照れ隠しなのか若干顔を俯かせ、踵を返して歩き出した。そしてある方向を指す。
「あれです、まだ居るかな」
 住宅区から僅かに離れた雑木林の中にその家はあった。本来は周囲にも家があったのだろうか、木々の陰に住居跡が見えるものの今はその一軒しか残っておらず、その一軒も随分と古びていた。
 けれど小さな家ながらも存在感があり、それを気に入ってマクドール将軍が買い管理していたのだと言う。そんな家に連れて来た孤児を住まわせる辺り、この将軍もかなり懐が広いな、とシーアは思った。
 扉の前迄来ると、レイが戸を叩いた。リズムのある叩き方、何かの合図なのだろうかと考えていると、戸惑うこともなく扉が開いてテッドが顔を出した。
 レイの後ろに居る二人に気付くと眼を見開いて、二人に挨拶をかけずにレイを見る。
 何か確認する様な視線の移動におや、と思い見守っていると、ひとつ間を空けてレイがにやりと笑った。
 徐に親指を自分へと指し、自信満々に言った。
「完・全・勝・利!」
「ああああーーっ。マジかよ!」
 頭を抱えて喚きだしたテッドに戸惑いながら、何が起こったのか判らずシーアはポーラと顔を見合わせた。そんな二人にテッドが牙をむく。
「シーア! お前勘鈍ってるんじゃないかっ?」
「は、はい?」
「テッド、シーアさんの所為にするなんてみっともないよ?
 シーアさんは僕を信用してきてくれたんだし」
「うわっ、もう懐柔してやがる。」
「そうそう、僕はシーアさんの暖かい抱擁に包み込まれてしまいました」
 腕を胸の前で交差して言えば、テッドが目を瞬かせる。そして次に大笑いを始めた。
「う、わっ。恐ッ!」
「あ、ちょっと聞き捨てならないんだけど。なんで其処で笑うかな」
「気色悪いっつーのっ。」
「…え、何。もしかしてピンポイントで僕? ん?」
「あっ、ちょっ悪い、すいません、ごめんなさい!」
 にじり寄り始めた彼に謝るも、それでも笑いの止まらないテッドの背に素早く回って、彼が避ける前にレイが腕を伸ばした。そのまま首を締め上げると、テッドがじたばたと逃げを打つ。けれど簡単に逃がしてはくれず、二人の攻防が暫し続いた。
 それを完全に置いてけぼりにされたシーアとポーラが、呆気にとられながら見ていたが、二人のやりとりにつられて今度はシーアが笑いだし、テッドに小突かれる事になった。





まだ続くのですが妙に長い&つまっているので切ってみました。
毎度お久しぶりです…何年かけて書くつもりなのか私…
後編は出来れば来年の上半期には…っ( 窒 息 )