綺麗な秋の色が空一面に広がっている午後、今日も赤月帝国の城下町は様々な人で溢れかえっていた。冬へと移行する気温の中、石畳の路上を行き交う人々は寒さに備える為の準備で忙しない。家の修理、冬服の直し、そして冬にはあまり売られない食料の調達、保存等。
(だからって)
 ここまで買う事はないだろうにと、片隅に思うも家の食料事情を思うとこの量も妥当なのだろうかと思い直してしまう。だが、一度にこんなに買うのもどうか。
 両手に抱えた大きな紙袋を落とさぬ様抱え直して、彼は溜息をついた。自分の体格と外見を考慮してくれて、中身は食料の他に必要な生活用品が詰込まれていて外見よりも軽いが、長時間持ち続けていれば暫し平和な空間に浸り過ぎて訛って来た身体にも負担がかかって来る。
 弱ったなあと思いつつ、彼は榛色の瞳をカウンターの奥に向けた。彼が居る此処は今厄介になっている家と親交が深い宿、兼業で商っている酒場だった。頬に十字傷を持った青年がカウンターの奥の扉に消えて暫く経つが、まだ戻って来る様子がない。彼の事だからきっと宿の女将と料理の話で長引いているのだろうと推測すると溜息が再度漏れる。
(失敗した…)
 赤月帝国の重鎮の一人、マクドール将軍に戦場で拾われて以来、一年以上世話になっているマクドール家、事実上その家の総取締役である青年の頼みとあってはそうそう断る事は出来ないし、実際あの時自分は手持ち無沙汰だった。働かせてもらっている仕事場の都合で思わぬ暇が空いたので親友の家を尋ねてみたら、案の定親友はまだ訓練の最中。終る迄何をしようとふらりとしていた所に声が掛かったものだから、軽い気持で頷いてしまったのだ。
 背側にある階段から足音がふたつ聞こえて、ああなんか聞き覚えのある足音だなあとか片隅でぼんやりと思いながらがくりと肩を落とす。冬を乗り切るのに長期間宿に留まる旅人は、この時期になるとやってくる。去年は親友と共に宿をよく訪れては足留めを食らった旅人の話を聞かせてもらった、その知り合いが来たのだろうか。
 とにかく今は、早い所青年が戻って来てくれるのを切実に願うしかない。彼の方が自分の何倍も重い荷物を抱えているのに、辛くはないのだろうかと思い、いや、家事全般を担っている彼にとってそれは苦でも何でもないと考え直した。一人分ならまだしも、数人の生活を任されると言うのは、予想以上に体力と忍耐を要するものだ。
 せめて、荷車でも持って来て欲しかったかもしれないが、時既に遅く。
 はあ、と溜息をまた漏らす。耐え切れなくなって彼は少しだけ声を張り上げて、カウンターの奥の待人を呼んだ。
「グレミオさーん、頼むから戻って来てよ。
 流石に辛いし、そろそろ準備しなきゃいけないんじゃない?」
 言って、返事が帰って来るのを待ち…
「──テッド?」
 思い掛けない所から返って来たのに心臓が跳ねる。柑子がかった茶褐色の髪を揺らして振り向けば、恐らく自分も同じ面持ちなのだろう、喫驚した様子の少年が一人椅子から立ち上がりかけて、こちらを見ていた。
 見覚えのある姿、全身黒を基調とした衣服を身に纏い、癖のない肩迄の木蘭の髪に、その合間から垣間見える露草の色を持った瞳。
 全く色褪せる事なく覚えていた、百五十年前と何も変わらないその容姿。
 手から力が抜けて、袋が床に音を立てて落ちる。中身が散らばって行くのが視界の隅に見えたかもしれない、けれど彼は…テッドと呼ばれた少年は気にも止めなかった。相手の方が慌てた様子で落ちた袋に視線を移したのに見計らった様に彼の身体が動いた。え、と驚きの声を上げるその人に腕を伸ばして抱え込む。
 がたる、と椅子迄巻き込んで床に崩れ落ちる。耳元で微かに呻く声が聞こえたのに、受け身を取れなかったのかと思う。…唐突に倒す様にしがみ付いたのだから仕方ないのかもしれないが。
 ……幻では、なかった。
 実感する。その存在は、消える事無くまだ腕の中にある。
「…テッド?」
 懐かしい声色が、恐る恐ると言った風に自分の名を呼んで来る。本当に懐かしい、もう二度と聞く事がないと思った声。
 ──生きていた。とにかく判る事は、それだけ。けれどそれだけで、胸にじわりと様々な感情が滲んで来る。莫迦みたいに目頭が熱くなって来る。
 ああ、そうだ。テッドは思う。
 自分は嬉しいのだ。
 …喜びたい、二度と会える筈の無かった存在。けれどそれよりもまずやる事がある。
 しがみついていた身体から離れて、テッドは漸く彼と顔を合わせた。眼を見開いて見返して来るのを見ると、きっと自分は笑っているだろうと思う。それはそうだと、とにかく嬉しいのだからと思いつつ…。
 にっこりと、今自分が持つ笑顔を彼に見せてやり、顔をほんの少しだけ上げて…、
 思いきり振り落とした。
 がづりと鈍い音が響いたと同時に、何かに潰された様な低い呻き声が上がる。
「……っの、莫迦シーアッ!!」
 彼自身打ち付けた額を赤くしながら、額を抑えて呻いている彼に怒鳴り付ける。
「よっくもまあ呑気にこんな所にいるもんだな、あぁっ?
 ふざけやがって、あの時俺がどんな気持でいたかっ」
「あ、あの」
「俺だってあいつだって船に居た皆がどんな思いだったか!
 …の癖にほのぼのとこんな所にお前はよっ」
「て、テッドさーん?」
「うっさい、黙れ!
 お前にはじっくり言わなきゃならない事があるんだよ……ッ」
 襟首を掴み上げて、ぎりぎりまで顔を近付けてくつくつと悪人の様な笑いを漏らす彼に、流石に危険を感じたのか下敷きになっている彼──シーアも、昔と変わらぬ少年の面持ちを引き攣らせた。
「待った、ストップ。こっちの話を…ッ」
「……ててててテッドくーーんっ!」
 上擦った青年の声が悲鳴になって聞こえて来る。二人同時に振り返ろうとするも、刹那にテッドの身体が浮き上がる。背後から腕を取られて青年に叱責を食らっている。
「宿のお客さんになんてことを! あああもう時々テッド君は怒り出すと見境なくなるって坊ちゃんから聞いてますけどそんな見も知らぬ方になんてことをっ。」
「お、落ち着いてグレミオさん。こいつは…っ」
「こいつなんて言ってはいけません! テッド君、君は確かにテオ様からの預かり人ですが私にとっては坊ちゃんと同じく家族の一員なのです、だからいけないことはいけないと言わせていただきます。いいですか今後…」
「…ふ」
 軽い、息を吐く音が聞こえて、頬に十字傷を持った青年が言葉を止める。テッドと同時に視線を下に流せば、身体を縮めてかくかくと痙攣する少年がいる。
 訝し気にテッドが声をかける。
「…おい」
「…、ご、ごめ、…あ、あは、はははっ」
 耐え切れない、といった感じに、隠さずに声を出して笑いはじめる。莫迦にするような笑いではなく、本当に心の中から笑っている様子で、テッドも、金髪の青年…グレミオも言葉を失う。特にテッドにしてみれば、素の状態で彼のこんな笑いは滅多に見た事がなかった為でもある。
 呆然としている二人。そこに微風の様に柔らかく声がかかる。
「…落ち着きましたか?」
 それもまた聞き覚えのある声、はっとしてテッドが見上げると其処に在ったのは──金糸雀の風に揺れる羽を思わせる、長い髪を下ろして静かに佇むエルフの女性の姿。
 ……昔の仲間の一人。
「ポー、ラ?」
 名を紡げば、彼女は柔らかく笑い答える。
「お久し振りです、テッド」
「…お前…」
「…知り合い、ですか。もしかして?」
 そっとグレミオが問いかける、是と答えて来たのはポーラという女性だった。
「お騒がせしまして、すいません。でもテッドは怒らないであげてください、彼の憤りはあって当然のものなので。
 ……けれど此処で騒ぐべきではなかったみたいですね」
 ちらと周囲を見渡す酒場は、ぱらぱらと客が入っていた。けれど馴染みの者が殆どなのだろうか、注目はすれど不快な面持ちはしていない、寧ろ楽しそうに視線を向けていたが、宿に厄介になっている立場からすると目立つのは良い事ではないだろう。
「あ、いえ、…知り合いならば、良いんですけれど。ああ、事情を知らなかったから、吃驚してしまいました。」
 青年という言葉に似合わず、柔らかい笑顔を浮かべるグレミオに、ポーラもまた笑い返す。
「ポーラと申します。こちらはシーア、以前テッドと共に旅をしていました」
「グレミオと申します、そうですか、テッド君の…テッド君は本当にいろんな所を旅していたんですねえ」
「なんだよ、まだ嘘だと思ってるのか…」
「坊ちゃんと同い年なのにって思うと、やっぱり信じられませんよ」
 はあ、と溜息を付くテッドにポーラは静かに笑う。にや、と笑い返し、グレミオさんと彼を呼んだ。
「いい加減離してくれよ。…もう治まったから」
「あ、そうですね」
 羽交い締めにされていた腕を解放されて、首を数度回した。それからこちらもようよう笑いが治まって来たのか、笑い疲れてくたりと床に突っ伏しているシーアに手を出した。迷わず手を取る彼に相変わらずだと心の中で呟きながら、立ち上がったシーアの身体に腕を回す。そのままぎちりと腕に力を込めて締め付けた。
「たたたたッ、きつ、きついってッ」
「積年の恨み。」
「御免てばっ。く、苦し」
「治まってないじゃないですか…」
 苦笑混じりに呟かれるグレミオの言葉を切っ掛けに、腕の力を緩める。ほうと息を付いた彼の身体を離さないまま。
「莫迦シーア」
「…うん、御免」
「…また会えるとは思わなかったよ」
 先程とは違う意味で、腕に力を込める。くすぐったそうに笑うのが聞こえた、無理もないかと思う。こんな風に彼が他人に対する思いを告げるのは、あの頃そう多くはなかったのだ。
 肩越しに見えたポーラと視線が合い、テッドは苦味混じりで笑った。ポーラは静かに笑い返してくれる、まるで昔から彼が笑っていたかの様に。
 じわりと込み上げて来る、暖かな気持ち。それがどんな言葉なのかは、テッドは判っていた。
「テッド君」
 不意に名を呼ばれ、振り返れば、柔らかく笑うグレミオの姿があった。
「私は帰りますね。テッド君は今日は来れないと、坊ちゃんには私から伝えておきますよ」
「え、グレミオさん、いいよ。
 荷物も持って行かなきゃならないのに…」
「マリーさんから荷車を借りますから大丈夫ですよ。
 …それに、ずっと会いたかったんでしょう?」
「、」
 覗き込まれて、声を無くした。その様子にグレミオは笑う。
「積もる話もありそうですしね。
 テッド君にそんな大事な方と会えたと知ったら、坊ちゃんもテオ様も喜びますし、邪魔をしたくないでしょう」
「…ごめん、手伝ってる最中だったのに」
「いえいえ。あ、でも落とした荷物はちょっと、拾ってほしいかも知れませんね」
 其処で自分が荷物を床に散らばしていた事を思い出して、慌てて拾い始めた。二人もそれに倣って全て袋に詰め直した頃、グレミオは荷車を外に用意し終えていた。
「手際が良いね…」
「まあ、一家の全指揮してるしな」
 感心した声色で呟くシーアに、テッドが答える。こちらの姿に気付いてグレミオはすまなさそうに寄って来た。
「ああ、有難うございます。すいませんお友達に迄お手伝いさせてしまって」
「いいえ、どうぞ」
「有難うございます」
 袋を手渡しながらにこ、と笑い合う。テッドはほんの少し困った色を含めたシーアに気付いて、苦笑した。…気付くのが早い。
 荷車を引きながら家路へと進む彼の背を見送る。声の届かない所迄遠くなった頃に、小さくシーアが呟く。
「似てるね」
「…ああ。
 それも含めて、話しておきたい事とか、あるんだ」
 心持ち真剣な色を含めて告げると、シーアはこくりと頷いた。
「部屋に入りましょう。酒場では人が多すぎますね」
 ポーラの言葉に是と答えて、三人は宿へと潜り込んだ。





ようやっとまとまった形になったのでアプしてみます…けれどここから全く書いてません(倒)序章の序章で一旦あげるのって実は怖いんですが…←前にやってそれから進めなくなった事がある
ちょ、ちょくちょくかいてきたい、かなー…(遠い目)
基本は短編で行きたいと思っています。板で落書きったのを、加筆修正して短かめの話で出すのが主になれたらいいと思いつつ。